10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

イラン・ペルシア史

紀元前3世紀のペルシア セレウコス朝シリア 遊牧ペルシア民族国家パルティア独立

紀元前3世紀のペルシアは、ギリシャ人国家セレウコス朝シリアの支配下にあった。

紀元前2世紀のペルシア パルティア ミトラダテス1世の全盛期

紀元前2世紀、共和政ローマと漢王朝が成立していた。 そのころ、ペルシアでは、セレウコス朝シリアから独立したパルティアが全盛期を迎えていた。

紀元前1世紀のペルシア パルティア 共和政ローマとの戦争が始まる。

紀元前1世紀、ミトラダテス帝が亡くなる。その後、オリエント(中東)の支配権をめぐり、ローマ帝国とたたかうことになる。一方で、漢王朝の武帝から使者が来た。中央アジアでは、イラン系大月氏国があった。

1世紀のペルシア パルティア ローマ帝国との攻防

1世紀、2大帝国が帝国の地位を固める時代であった。 このころ、ペルシアは、遊牧ペルシア人のパルティアが治めていた。

2世紀のペルシア パルティア 全盛期のローマ帝国に攻められ衰退期に入る

2世紀、漢王朝とローマ帝国の全盛期である。 このころ、ペルシアは遊牧ペルシア人のパルティアが統治していた。隣国のローマ帝国は五賢帝の全盛期、たびたびローマ帝国の侵攻を受けた。これにより、パルティアは衰退期にはいり、3世紀に農耕ペルシア人のササ…

3世紀のペルシア ササン朝 ササン朝建国 と シャープール1世

3世紀、日本は卑弥呼の時代であった。そのころ、ペルシアではパルティアが滅び、ササン朝ペルシアが成立。ササン朝は、シャープール1世のころ全盛期を迎える。ローマ皇帝を捕虜にする軍事力を持った。

4世紀のペルシア ササン朝 シャープール2世 と ゾロアスター教

4世紀、日本は古墳時代であった。 このころ、ペルシアはシャープール2世の時代であった。隣国ローマ帝国ではコンスタンティヌス大帝が活躍。両国は和平を保っていた。また、宗教政策ではゾロアスター教の国教化を強化していた。 コンスタンティヌス大帝が亡…

5世紀のペルシア ササン朝 ギリシアの学者がペルシアへ流入。

5世紀、日本では巨大古墳が作られた。このころになると中国の戦乱も落ち着き日本も中国への朝貢を再開した。 このころ、ペルシアはササン朝が続いていた。隣国ビザンツ帝国では、キリスト教ネトリウス派が異端。多くの信者がササン朝へ流入した。

6世紀のペルシア ササン朝 ホスロー1世の全盛期

6世紀、日本は飛鳥時代で仏教が伝来したころである。 このころ、ペルシアは、ホスロー1世の時代であった。ホスロー1世は、絶好調のビザンツ皇帝ユスティアヌス帝と和睦。ビザンツ帝国以外との戦争に集中。国土を拡大した。

7世紀のペルシア ウマイヤ朝 イスラム勢力がササン朝ペルシアを滅ぼす

7世紀、日本は聖徳太子や中大兄皇子らが活躍した飛鳥時代であった。 そのころ、ペルシアではササン朝ペルシアが滅亡。イスラム勢力の支配下に入った。 イスラム教は、7世紀初頭に始まった。当初小さな宗教集団であったが、この世紀でオリエントを統一する大…

8世紀のペルシア アッバース朝 アッバース革命

8世紀、日本は奈良時代。仏教が厚く保護された。このころ、唐やペルシアの文化の影響を色濃く受けていた。 そのころ、ペルシア(イラン)は

9世紀のペルシア サーマーン朝とアッバース朝 アッバース朝の分裂

9世紀、日本は平安時代初期。まだ唐の文化が色濃い時代。 ペルシアは、アラブ(イスラム教徒)のアッバース朝の支配下にあった。しかし、アッバース朝は衰退期に入り、ペルシアにも独立国が成立した。

10世紀のペルシア ブワイフ朝 アラブ人の支配からの脱却

10世紀の日本は、平安時代の中期。遣唐使を廃止し、十二単(じゅうにひとえ)や寝殿造りに象徴される国風文化が花開いた。 そのころ、ペルシアは、アラブ人(アッバース朝)の支配を受けていた。しかし、32年ペルシア系ブワイフ朝が成立。

11世紀のペルシア セルジューク朝 スンナ派の救世主、セルジューク朝トルコ

11世紀、日本は平安時代後期。10円玉で有名な宇治の平等院鳳凰堂ができたのもこの時代。 そのころ、ペルシアは西側では、シーア派ペルシア人ブワイフ朝が支配していた。 一方、東部では2つのトルコ人国家が成立していた。 このトルコ人国家からセルジューク…

12世紀のペルシア 群雄割拠の時代

12世紀、日本は平清盛など武家が中央政界に進出時代である。 11世紀に勢力を伸ばしたセルジューク朝が衰退していく時代である。中国からは女真族(金)に敗れた北方騎馬民族契丹族(遼)が西からは十字軍とエジプトが攻めてくる時代である。

13世紀のペルシア イル=ハン国 チンギス=ハンのユーラシア大陸統一

13世紀はモンゴルの世紀である。日本では、源頼朝が登場した鎌倉時代である。 このブログでは、前半はチンギス=ハンの中央アジアの商業都市の侵攻を、後半ではフラグの建国した中東のイル=ハン国を見ていく。

14世紀のペルシア イル=ハン朝 ティムール モンゴル再興の夢を見る

14世紀、日本は元寇による不況で鎌倉幕府が滅亡。南北朝の戦乱期に入る。 世界的にも、ペストが流行、暗黒の中世を象徴する世紀であった。 このころ、ペルシアはモンゴル帝国の支配下にあった。 14世紀のモンゴルは、分裂・衰退傾向にあった。1370年、ティム…

15世紀のペルシア ティムール朝 ティムールの病死で永楽帝が命拾い

15世紀、日本では室町時代で金閣寺や銀閣寺ができたころである。 このころ、イランでは世界帝国が再興した。ティムール帝国である。 西は、シリア・トルコから東は中央アジア・インドまでの大帝国の誕生である。

16世紀のペルシア サファヴィー朝 ペルシア版織田信長 アッバース1世

16世紀、日本は戦国時代を迎えていた。この戦乱はアジア全域にわたっていた。この戦乱を勝ち抜いたのが17世紀の4大帝国、清王朝、ムガル帝国、サファヴィー朝、オスマン帝国である。 16世紀のペルシアはティムール王国が滅亡し、サファヴィー朝が全盛期を迎…

17世紀のペルシア サファビー朝 アジア4大帝国の成立と「イスファハーンは世界の半分」

17世紀、日本では、江戸幕府が成立。戦国の世が終わり泰平な時代が訪れた。 そのころ世界では、アジアの4大帝国がでそろった。中国の清王朝、インドのムガル帝国、ペルシアのサファヴィー朝、トルコのオスマン帝国である。 サファヴィー朝ペルシアは、17世紀…

18世紀のペルシア サファヴィー朝 サファビー朝滅亡後の戦乱期

18世紀の日本は、江戸時代の後半(綱吉~家斉)でした。 そのころ、ペルシアは栄光を極めたサファビー朝が滅び戦乱の時代を迎えた。 この戦乱をおさめたのがカジャール朝である。しかし、泰平の世は訪れなかった。北からロシアが南下政策を進めてきたのである…

1800年代のペルシア カジャール朝 ペルシア統一、ロシアと開戦

1800年代、江戸時代後期。日本では、徳川家斉の大御所政治で化政文化が花開いていた。また、ヨーロッパはフランス皇帝ナポレオンがヨーロッパを席巻していた。 そのころのペルシアは、内乱が終わり、カジャール朝が統一したばかりであった。 カジャール朝ペ…

イラン・ペルシアの歴史 番外編 ホルムズ海峡って何?

こんばんは、sekaishiotakuです。 イランが、ホルムズ海峡でタンカー攻撃を実施。アメリカとイランの関係は再び悪化しています。 イランとアメリカの関係については、本編を見てください。 今回は、タンカー攻撃の舞台になったホルムズ海峡の歴史を見ていき…

1810年代のペルシア カジャール朝 ロシア帝国にアゼルバイジャンを割譲

1810年代は江戸時代後期に当たる。このころ日本は、徳川家斉の大御所政治で好景気に沸いていた。 そのころ、ヨーロッパではナポレオン戦争が終結。ヨーロッパに平和が訪れた。このころから、イギリスとロシアのアジア進出競争が始まる。17世紀アジア交易を牛…

1820年代のペルシア カジャール朝 ペルシア版不平等条約 トルコマンチャーイ条約

1820年代、日本は徳川家斉の治世。好景気に沸き、化政文化が花開いた。 このころ、カジャール朝はロシア帝国に敗戦。ペルシア版不平等条約 トルコマンチャーイ条約を締結する。これにより、カジャール朝はヨーロッパに対し治外法権を認めたほか、多額の賠償…

1830年代のペルシア カジャール朝 第一次アフガン戦争

1830年代、江戸時代後期。日本は徳川家斉の好景気が終焉。天保の大飢饉が起きたころである。大阪では大塩平八郎の乱が行われている。 このころ、カジャール朝ペルシアでは、第一次アフガン戦争の真っただ中にあった。この戦争は、カジャール朝ペルシアとアフ…

1840年代のペルシア カジャール朝 バーブ教徒の反乱

1840年代、日本は江戸時代後期。遠山の金さんが活躍していたころ。寛政の改革やアヘン戦争の対応に気を配っていた。 このころのカジャール朝ペルシアは、ロシア帝国に続き、イギリスの脅威を受けるとこになる。38年の第一次アフガン戦争の敗北はその一例であ…

1850年代のペルシア カジャール朝 クリミア戦争の裏で一息つくカジャール朝ペルシア

1850年代、日本はペリー来航で江戸幕府が大きく揺らいだ。しかし、世界全体の関心事は、これではない。クリミア戦争である。当時の2大帝国、イギリスVSロシアが最高潮に達した瞬間である。

1860年代のペルシア カジャール朝 ロシアの中央アジア進出

1860年代、日本では250年続いた江戸時代がおわり、明治新政府が成立した。いわゆる幕末と呼ばれる時代。 このころ、ペルシア・中央アジア地域の最大の課題は、ロシアの中央アジアの進出であった。

1870年代のペルシア カジャール朝 ロイター利権と第2次アフガン戦争

1870年代、日本は明治初期。ヨーロッパへの脅威を払拭するため富国強兵に努めていた。 このころのカジャール朝ペルシアも、日本同様ヨーロッパの脅威にさらされていた。ロシアとイギリスである。 カジャール朝ペルシアは、国王がイギリスに利権を渡すロイタ…