イラン・ペルシア史
11世紀、東方正教会とローマ=カトリックは相互破門を実施した。そのような中、中東からセルジューク=トルコが侵攻。ビザンツ皇帝はローマ教皇に支援を求めた。そこで壇上したのが第1回十字軍であった。 詳細はこちら 11世紀のビザンツ帝国 セルジュークトル…
14世紀、日本は鎌倉幕府が滅亡し、南北朝の戦乱期に入ったころである。 トルコでは、17世紀のアジア4大大国の1つであるオスマン帝国が建国された。建国当時のオスマン帝国周辺はモンゴル大帝国に囲まれていた。北にはキプチャクハン国、南にはイルハン国が存…
今回が、イラン・ペルシア史の最終回です。四大文明の1つメソポタミア文明から、前回6世紀初頭にペルシアを支配したメディア王国の成立までを見ていきます。
紀元前6世紀初頭、ペルシアはメディア王国が支配していた。 紀元前7世紀中ごろ、メディア王国からアケメネス朝が独立。このアケメネス朝がオリエントを統一していく。紀元前6世紀末には、アケメネス朝は全盛期を迎える。その時の王がダレイオス1世である。
紀元前5世紀、中国では、孔子など多くの思想家が輩出された。 このころ、ペルシアは、アケメネス朝期であった。当時のアケメネス朝ペルシアは、オリエント(中東)全域を支配する巨大帝国であった。 この時期、ペルシア戦争やペロポネソス戦争などの地中海の…
紀元前4世紀、中国は春秋戦国の戦乱期であった。 このころ、ペルシアはアケメネス朝ペルシアが治めていた。アケメネス朝ペルシアは、オリエント全域を支配していた。しかし、ギリシアのアレキサンダー大王が登場。瞬く間にアケメネス朝ペルシアは滅亡した。
紀元前3世紀のペルシアは、ギリシャ人国家セレウコス朝シリアの支配下にあった。
紀元前2世紀、共和政ローマと漢王朝が成立していた。 そのころ、ペルシアでは、セレウコス朝シリアから独立したパルティアが全盛期を迎えていた。
紀元前1世紀、ミトラダテス帝が亡くなる。その後、オリエント(中東)の支配権をめぐり、ローマ帝国とたたかうことになる。一方で、漢王朝の武帝から使者が来た。中央アジアでは、イラン系大月氏国があった。
1世紀、2大帝国が帝国の地位を固める時代であった。 このころ、ペルシアは、遊牧ペルシア人のパルティアが治めていた。
2世紀、漢王朝とローマ帝国の全盛期である。 このころ、ペルシアは遊牧ペルシア人のパルティアが統治していた。隣国のローマ帝国は五賢帝の全盛期、たびたびローマ帝国の侵攻を受けた。これにより、パルティアは衰退期にはいり、3世紀に農耕ペルシア人のササ…
3世紀、日本は卑弥呼の時代であった。そのころ、ペルシアではパルティアが滅び、ササン朝ペルシアが成立。ササン朝は、シャープール1世のころ全盛期を迎える。ローマ皇帝を捕虜にする軍事力を持った。
4世紀、日本は古墳時代であった。 このころ、ペルシアはシャープール2世の時代であった。隣国ローマ帝国ではコンスタンティヌス大帝が活躍。両国は和平を保っていた。また、宗教政策ではゾロアスター教の国教化を強化していた。 コンスタンティヌス大帝が亡…
5世紀、日本では巨大古墳が作られた。このころになると中国の戦乱も落ち着き日本も中国への朝貢を再開した。 このころ、ペルシアはササン朝が続いていた。隣国ビザンツ帝国では、キリスト教ネトリウス派が異端。多くの信者がササン朝へ流入した。
6世紀、日本は飛鳥時代で仏教が伝来したころである。 このころ、ペルシアは、ホスロー1世の時代であった。ホスロー1世は、絶好調のビザンツ皇帝ユスティアヌス帝と和睦。ビザンツ帝国以外との戦争に集中。国土を拡大した。
7世紀、日本は聖徳太子や中大兄皇子らが活躍した飛鳥時代であった。 そのころ、ペルシアではササン朝ペルシアが滅亡。イスラム勢力の支配下に入った。 イスラム教は、7世紀初頭に始まった。当初小さな宗教集団であったが、この世紀でオリエントを統一する大…
8世紀、日本は奈良時代。仏教が厚く保護された。このころ、唐やペルシアの文化の影響を色濃く受けていた。 そのころ、ペルシア(イラン)は、イスラム王朝の時代であった。7世紀に成立したウマイヤ朝は、北アフリカからイランに広がる大帝国になっていた。し…
9世紀、日本は平安時代初期。まだ唐の文化が色濃い時代。 ペルシアは、アラブ(イスラム教徒)のアッバース朝の支配下にあった。しかし、アッバース朝は衰退期に入り、ペルシアにも独立国が成立した。
10世紀の日本は、平安時代の中期。遣唐使を廃止し、十二単(じゅうにひとえ)や寝殿造りに象徴される国風文化が花開いた。 そのころ、ペルシアは、アラブ人(アッバース朝)の支配を受けていた。しかし、32年ペルシア系ブワイフ朝が成立。
11世紀、日本は平安時代後期。10円玉で有名な宇治の平等院鳳凰堂ができたのもこの時代。 そのころ、ペルシアは西側では、シーア派ペルシア人ブワイフ朝が支配していた。 一方、東部では2つのトルコ人国家が成立していた。 このトルコ人国家からセルジューク…
12世紀、日本は平清盛など武家が中央政界に進出時代である。 11世紀に勢力を伸ばしたセルジューク朝が衰退していく時代である。中国からは女真族(金)に敗れた北方騎馬民族契丹族(遼)が西からは十字軍とエジプトが攻めてくる時代である。
13世紀はモンゴルの世紀である。日本では、源頼朝が登場した鎌倉時代である。 このブログでは、前半はチンギス=ハンの中央アジアの商業都市の侵攻を、後半ではフラグの建国した中東のイル=ハン国を見ていく。
14世紀、日本は元寇による不況で鎌倉幕府が滅亡。南北朝の戦乱期に入る。 世界的にも、ペストが流行、暗黒の中世を象徴する世紀であった。 このころ、ペルシアはモンゴル帝国の支配下にあった。 14世紀のモンゴルは、分裂・衰退傾向にあった。1370年、ティム…
15世紀、日本では室町時代で金閣寺や銀閣寺ができたころである。 このころ、イランでは世界帝国が再興した。ティムール帝国である。 西は、シリア・トルコから東は中央アジア・インドまでの大帝国の誕生である。
16世紀、日本は戦国時代を迎えていた。この戦乱はアジア全域にわたっていた。この戦乱を勝ち抜いたのが17世紀の4大帝国、清王朝、ムガル帝国、サファヴィー朝、オスマン帝国である。 16世紀のペルシアはティムール王国が滅亡し、サファヴィー朝が全盛期を迎…
17世紀、日本では、江戸幕府が成立。戦国の世が終わり泰平な時代が訪れた。 そのころ世界では、アジアの4大帝国がでそろった。中国の清王朝、インドのムガル帝国、ペルシアのサファヴィー朝、トルコのオスマン帝国である。 サファヴィー朝ペルシアは、17世紀…
18世紀の日本は、江戸時代の後半(綱吉~家斉)でした。 そのころ、ペルシアは栄光を極めたサファビー朝が滅び戦乱の時代を迎えた。 この戦乱をおさめたのがカジャール朝である。しかし、泰平の世は訪れなかった。北からロシアが南下政策を進めてきたのである…
1800年代、江戸時代後期。日本では、徳川家斉の大御所政治で化政文化が花開いていた。また、ヨーロッパはフランス皇帝ナポレオンがヨーロッパを席巻していた。 そのころのペルシアは、内乱が終わり、カジャール朝が統一したばかりであった。 カジャール朝ペ…
こんばんは、sekaishiotakuです。 イランが、ホルムズ海峡でタンカー攻撃を実施。アメリカとイランの関係は再び悪化しています。 イランとアメリカの関係については、本編を見てください。 今回は、タンカー攻撃の舞台になったホルムズ海峡の歴史を見ていき…
1810年代は江戸時代後期に当たる。このころ日本は、徳川家斉の大御所政治で好景気に沸いていた。 そのころ、ヨーロッパではナポレオン戦争が終結。ヨーロッパに平和が訪れた。このころから、イギリスとロシアのアジア進出競争が始まる。17世紀アジア交易を牛…