5世紀、日本では巨大古墳が作られた。このころになると中国の戦乱も落ち着き日本も中国への朝貢を再開した。
このころ、ペルシアはササン朝が続いていた。隣国ビザンツ帝国では、キリスト教ネトリウス派が異端。多くの信者がササン朝へ流入した。
- 25年 中央アジアのエフタルが侵入
- 31年 キリスト教ネストリウス派が異端 → 信者がササン朝へ流入
- 41年 ビザンツ帝国と相互不可侵条約
- 50年 エフタル、ササン朝ペルシアから独立
- 88年 マズダグ教徒の乱
25年 中央アジアのエフタルが侵入
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)との戦争も継続中
→395年、ローマ帝国東西分裂
31年 キリスト教ネストリウス派が異端 → 信者がササン朝へ流入
41年 ビザンツ帝国と相互不可侵条約
エフタルとの戦いに備えるため
50年 エフタル、ササン朝ペルシアから独立
その後、インドのグプタ朝へも侵攻
88年 マズダグ教徒の乱
マニ教の影響をうけた
土地所有の平等と女性の解放
← ペルシアの大飢饉で信者が急増
→ イスラム教の平等の概念へつながる?
6世紀、ホスロー1世が大迫害
次回予告
「4世紀のペルシア ササン朝 シャープール2世とゾロアスター教」
このころの日本は
このころの西洋は
このころの中国は