17世紀、日本では、江戸幕府が成立。戦国の世が終わり泰平な時代が訪れた。
そのころ世界では、アジアの4大帝国がでそろった。中国の清王朝、インドのムガル帝国、ペルシアのサファヴィー朝、トルコのオスマン帝国である。
サファヴィー朝ペルシアは、17世紀初頭全盛期を迎える。アッバース1世の時代である。首都イスファハーンは「世界の半分」と呼ばれた。
アッバース1世
オランダ、イギリスを支援のもと、軍隊を近代化
→ オランダはスペインと独立戦争中
イギリスはオランダを支援
98年 シャイバーニー朝ウズベクを破り、ホラーサーンを回復
シャイバニー朝ウズベク
中央アジアの国(現在もウズベキスタンとして残っている)
03年 オスマン帝国に勝利、カフカス地方アゼルバイジャンを回復
16年 イギリス東インド会社と貿易協定を締結
ペルシア軍の近代化を支援
イギリス東インド会社
00年に設立
このころ、イギリス・オランダがアジアへの進出を始めた
徳川家康の外交顧問は、オランダ人とイギリス人であった。
22年 軍隊の近代化により、ホルムズのポルトガルを駆逐
イギリス東インド会社が支援
このころ、ポルトガルは
1580年 スペインに併合
39年 徳川家光、鎖国政策(ポルトガル商船の入港禁止)
24年 オスマン帝国を破り
イラク(メソポタミア)のバグダードを再征服
イスマイール1世の雪辱を果たす
29年 アッバース1世亡くなる
アッバース1世が亡くなり衰退期に入る
サフィー1世
29年 即位
アッバース2世
42年 即位 、宰相サルー・タキが実権を握る
45年 宰相サルー・タキ暗殺 → 皇帝親政へ
サフィー2世
66年 即位
皇帝は政治に興味がない → 衰退期に入る
コサック
48年 リトアニア=ポーランド王国に対し反乱
54年 ロマノフ王朝ロシアに臣従
67年 リトアニア=ポーランド王国と講和
ロマノフ朝の重要な軍事力であった。
次回予告
「16世紀のペルシア サファヴィー朝
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの 中国は