10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ロシア史編 これまでの復習とこれからの予習

おはようございます。sekaishiotakuです。今日は、編集が間に合わずアップが遅くなり申し訳ありません。19世紀まで終わったので目次リストをアップします。

紀元前7世紀以前のペルシア メソポタミア文明からメディア王国の成立まで

今回が、イラン・ペルシア史の最終回です。四大文明の1つメソポタミア文明から、前回6世紀初頭にペルシアを支配したメディア王国の成立までを見ていきます。

1800年代のロシア帝国 ロマノフ朝 アレクサンドル1世

1800年代、日本は江戸時代後期。徳川家斉の時代である。 このころ、ヨーロッパではナポレオンが皇帝になり、ナポレオン戦争の真っただ中にあった。 そのころ、ロシアは東ヨーロッパで名声を高めていたが、まだ強国といわれる立場ではなかった。このナポレオ…

紀元前6世紀のペルシア アケメネス朝 ペルシアがオリエントを統一

紀元前6世紀初頭、ペルシアはメディア王国が支配していた。 紀元前7世紀中ごろ、メディア王国からアケメネス朝が独立。このアケメネス朝がオリエントを統一していく。紀元前6世紀末には、アケメネス朝は全盛期を迎える。その時の王がダレイオス1世である。

1810年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル1世 ナポレオン戦争とウィーン会議でロシア帝国は強国に

1810年代、日本は江戸時代後期、化政文化が花開いていた時代であった。 このころ、ヨーロッパはナポレオン戦争の真っただ中にあった。1815年ウィーン海意義でナポレオン戦争は終結。1914年の第一次世界大戦までヨーロッパでは大きな戦争が起こらなくなる。 …

紀元前5世紀のペルシア アケメネス朝 ペルシア戦争に敗北し、衰退期に入る。

紀元前5世紀、中国では、孔子など多くの思想家が輩出された。 このころ、ペルシアは、アケメネス朝期であった。当時のアケメネス朝ペルシアは、オリエント(中東)全域を支配する巨大帝国であった。 この時期、ペルシア戦争やペロポネソス戦争などの地中海の…

1820年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル1世 ギリシア独立戦争とデカブリストの乱

1820年代、日本は江戸時代後期。徳川家斉の大御所政治のおかげで江戸で化政文化が花開いている。 そのころ、ロシア帝国は

紀元前4世紀のペルシア マケドニア アレキサンダー大王の東方遠征

紀元前4世紀、中国は春秋戦国の戦乱期であった。 このころ、ペルシアはアケメネス朝ペルシアが治めていた。アケメネス朝ペルシアは、オリエント全域を支配していた。しかし、ギリシアのアレキサンダー大王が登場。瞬く間にアケメネス朝ペルシアは滅亡した。

1830年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ1世 エジプト=トルコ戦争とショパン

1830年代、日本は江戸時代後期。寛政の大飢饉で苦しんでいた。 そのころ、ロシアは、2つの地域に注目していた。ポーランドとオスマン帝国である。

紀元前3世紀のペルシア セレウコス朝シリア 遊牧ペルシア民族国家パルティア独立

紀元前3世紀のペルシアは、ギリシャ人国家セレウコス朝シリアの支配下にあった。

1840年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ1世 48年革命でロシアの地位が上がる

1840年代、日本は寛政の改革が行われ、アヘン戦争で動揺していた。 同じころ、ヨーロッパでは48年の自由主義革命の真っただ中にあった。 このころ、ロシアの課題は不凍港の獲得であった。そのため、オスマン帝国のダーダネルス=ボスフォラス海峡の自由航行…

紀元前2世紀のペルシア パルティア ミトラダテス1世の全盛期

紀元前2世紀、共和政ローマと漢王朝が成立していた。 そのころ、ペルシアでは、セレウコス朝シリアから独立したパルティアが全盛期を迎えていた。

1850年代のロシア帝国 ロマノフ朝 ニコライ1世 19世紀最大の戦争、クリミア戦争

1850年代、日本にはペリーが来航。幕末の動乱が始まった。 このころ、ロシア帝国は大きな戦争がおこった。クリミア戦争である。

紀元前1世紀のペルシア パルティア 共和政ローマとの戦争が始まる。

紀元前1世紀、ミトラダテス帝が亡くなる。その後、オリエント(中東)の支配権をめぐり、ローマ帝国とたたかうことになる。一方で、漢王朝の武帝から使者が来た。中央アジアでは、イラン系大月氏国があった。

1860年代のロシア帝国 ロマノフ朝 アレクサンドル2世 クリミア戦争のリベンジにむけて、農奴解放令

1860年代、日本では大政奉還が行われ、明治新政府が成立した。 このころ、ロシア帝国はクリミア戦争の敗戦から、改革の断行を進めていた。その代表例が農奴解放令である。

1世紀のペルシア パルティア ローマ帝国との攻防

1世紀、2大帝国が帝国の地位を固める時代であった。 このころ、ペルシアは、遊牧ペルシア人のパルティアが治めていた。

1870年代のロシア ロマノフ朝 ロシア版三国干渉 ベルリン条約

1870年代、日本は明治時代。明治初期で幕末の雰囲気がまだ残っていたことである。 このころロシアは、クリミア戦争にリベンジマッチに燃えていた。77年にロシア=トルコ戦争に勝利。しかし、ロシアの地中海進出にイギリスなどが警戒。ベルリン会議が開かれて…

2世紀のペルシア パルティア 全盛期のローマ帝国に攻められ衰退期に入る

2世紀、漢王朝とローマ帝国の全盛期である。 このころ、ペルシアは遊牧ペルシア人のパルティアが統治していた。隣国のローマ帝国は五賢帝の全盛期、たびたびローマ帝国の侵攻を受けた。これにより、パルティアは衰退期にはいり、3世紀に農耕ペルシア人のササ…

1880年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル3世 中央アジアをめぐりイギリスと対立

1880年代、日本は大日本帝国憲法を成立。国会を開設した。 このころ、ロシアは

3世紀のペルシア ササン朝 ササン朝建国 と シャープール1世

3世紀、日本は卑弥呼の時代であった。そのころ、ペルシアではパルティアが滅び、ササン朝ペルシアが成立。ササン朝は、シャープール1世のころ全盛期を迎える。ローマ皇帝を捕虜にする軍事力を持った。