紀元前1世紀、ミトラダテス帝が亡くなる。その後、オリエント(中東)の支配権をめぐり、ローマ帝国とたたかうことになる。
一方で、漢王朝の武帝から使者が来た。
中央アジアでは、イラン系大月氏国があった。
ミトラダテス2世
領土が拡大 → 総督(支配地域の知事)に大きな権限
88年 没
中央アジアには大月氏国
パルティア、共和政ローマを撃退
64年 セレウコス朝シリア滅亡
64年、セレウコス朝シリアは、共和政ローマによって滅亡
→ シリアは、共和制ローマの属州となる。
→ パルティアは、カフカス地方のアルメニアをめぐり
共和政ローマと戦争を繰り返す
62年 共和政ローマと和平
共和政ローマのスラと和平交渉
ユーフラテス川を国教とする。
53年 共和政ローマのクラッススを戦死させる。
カエサルらとともに第1回三頭政治を仕切る
主としてシリアの統治を担当
39年 共和政ローマ軍(アントニウス)に善戦
オクタニウスらとともに第2回三頭政治
パルティアとの戦いに苦戦
→ プトレマイオス朝エジプト(クレオパトラ)に接近
以後、アントニウスはエジプトを拠点
→ ローマ人の批判を受ける。
次回予告
「紀元前2世紀のローマ パルティア ミトラダテス1世の全盛期」
パルティアのライバル、ヨーロッパの状況は
東アジアの状況は