10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

1890年代のイギリス 3つの論点、労働者問題とアイルランド問題と植民地戦争

1890年代、日本は明治時代。このとき、日本は日清戦争に勝利した。 イギリスは、日清戦争の結果をみて、アジアでのパートナーを清王朝から日本の明治政府へ切り替えた。このイギリスでは、

13世紀のインド、デリー=スルタン朝のはじまりとモンゴルの侵攻

13世紀はモンゴルの世紀である。日本では鎌倉時代である。日本も鎌倉時代にモンゴルの侵攻を受けた。 このころ、インドでは、アフガンからトルコ系イスラム教徒が侵入。デリー=スルタン朝が成立する。このデリー=スルタン朝もたびたびモンゴルの侵攻を受け…

1900年代のイギリス 日露戦争の勝利で英露関係が大幅に改善。

1900年代、日本は日露戦争の勝利に沸いていた。この勝利によって、日本は関税自主権を回復した。その時、日本を裏で支援していたのがイギリスであった。 イギリスは、日本、フランス、ロシアと同盟や協商が成立。これにより、ドイツVSイギリスの第一次世界大…

14世紀のインド デリースルタン朝 南インドで独立運動

14世紀、日本では鎌倉幕府が滅亡し、南北朝の戦乱期に入った。この頃、世界ではモンゴル大帝国が衰退。ヨーロッパではペストが流行した。 そのころ、インドはデリー=スルタン朝の時代であった。ハルジー朝は全インドを統一した。その後、トゥグルク朝が長期…

1910年代のイギリス VSドイツ 第一次世界大戦

1910年代、日本は大正時代。世界は第一次世界大戦の真っただ中にあった。 前半では、イギリスとドイツの植民地政策の比較を見ていく。後半では、第一次世界大戦の影響として、イギリスの三枚舌外交と普通選挙制への流れを見ていく。

15世紀のインド デリー=スルタン朝、ティムールと永楽帝とポルトガル

15世紀、日本は室町時代。金閣寺が建立されたころである。 このころ、インドはデリー=スルタン朝の時代である。15世紀に入ると効果技術が大幅に発展した。多くのスーパースターがインドを訪れた。15世紀初頭には、ティムールや明王朝(中国)の永楽帝の使者…

1920年代のイギリス 世界の中心はロンドンからニューヨークへ

1920年代、いわゆる戦間期。戦間期は、世界恐慌前の20年代と世界恐慌後の30年代に分けられる。このころ、日本は関東大震災などの影響で長期の不況に入っていた。 このころ、イギリスは第一次世界大戦に勝利をしたものの大きな損害を受けた。その中で台頭して…

16世紀のインド ムガル帝国の建国とインド版織田信長ことアクバル帝

16世紀(1501年~)、日本は戦国時代の真っただ中にあった。16世紀後半になると織田信長や豊臣秀吉が活躍する。このころ、ヨーロッパは大航海時代に入った。 このころ、北インドにムガル帝国が成立。建国当初は、北インドの一小国であった。16世紀後半のアク…

1930年代のイギリス 世界恐慌とブロック経済

1930年代、世界各国は世界恐慌の対応に追われていた。このような中、台頭したのがナチスドイツである。このことが第2次世界大戦につながる。 このころ、イギリスは広大な植民地を持っていた。そのためこの広大な植民地を生かした保護貿易を行った。これがブ…

17世紀のインド アウラングゼーブ帝とイギリス・フランスの進出

17世紀、日本は江戸時代初期。鎖国に入り日本独特な文化が構築され始める時代である。このころ、アジアは4大帝国の時代に入った。東から、中国の清王朝、インドのムガル帝国、ペルシア(イラン)のサファヴィー朝、そしてトルコのオスマン帝国である。 イン…

1940年代前半のイギリス チャーチル首相と第二次世界大戦

1940年代前半の第二次世界大戦をイギリスの視点で見ていきましょう。 第二次世界大戦は、イギリス・アメリカを中心とした連合国。ドイツ・日本を中心とした枢軸国。そして、キャスティングボードを握ったソ連である。この3つの陣営の対立で構築される。第二…

18世紀のインド ムガル帝国と英仏植民地戦争

18世紀(1701年~)、日本は江戸時代後期。 このころ、インドはムガル帝国の時代。アウラングゼーブ帝が最大領土を得てから衰退期に入っていった。これにより、マラーター同盟などの地方政権が乱立した。一方で、ヨーロッパの植民地化がかなり進んだ。その中…

1940年代後半のイギリス アトリー労働党内閣 「ゆりかごから墓場まで」

1940年代後半、第二次世界大戦直後。イギリスはどのように立ち回ったのだろうか。 ベルリンが陥落した直後の総選挙で労働党政権が復活した。アトリー内閣である。アトリー内閣は社会主義型政策を進めていった。

1800年代のインド 東インド会社、第2次マラーター戦争でデリーを勢力圏に

1800年代、日本は江戸時代後期。江戸三大改革の一つ寛政の改革が行われていたころである。 このころ、インドでは第二次マラーター戦争が勃発。これにより、ムガル帝国はイギリスの保護国となった。

1950年代のイギリス チャーチル首相とスエズ戦争(第二次中東戦争)

1950年代、日本は朝鮮戦争特需で戦後復興を成し遂げた。GHQからの独立を果たしたのもこのころ。政治面では自民党と社会党の55年体制が確立した。 このころ、イギリスは第二次世界大戦を勝利に導いたチャーチル氏が再び党首になった。この後保守党政権が続く…

1810年代のインド 東インド会社の植民地拡大政策

1810年代、日本は江戸時代後期。徳川家斉の好景気の時代である。葛飾北斎などの浮世絵が描かれたのもこの時代である。 そのころ、世界ではナポレオン戦争が終結。ウィーン会議によって戦後秩序が作られた。

1960年代のイギリス イギリス病不況とアフリカの年

1960年代、日本は高度成長期にわいていた。東京オリンピックが開催されたのもこのころである。 このころ、イギリスは高福祉政策によって、不況に入っていた。1960年代~1970年代のイギリス病不況である。

1820年代のインド 産業革命で不況になるインド

1820年代、日本は江戸時代。徳川家斉の好景気沸いていた。 ヨーロッパも、ナポレオン戦争が終結し、つかの間の平和を享受していた。 そのころ、インドは不況に苦しんでいた。産業革命を果たしたイギリス産綿製品がインドの綿業界を壊滅させた。

1970年代のイギリス イギリス病不況がEC加盟に結び付く

1970年代、日本は高度成長期がおわり、低成長期に入った。これは日本だけでなくアメリカやヨーロッパでも起こっていた。 イギリスも例外ではなかった。しかし、イギリスは60年代から低成長期に入っていたこの60年から70年の低成長期をイギリス病という。70年…

1830年代のインド 東インド会社、第一次アフガン戦争

1830年代、江戸時代後期。化政バブルが終わり、寛政の大飢饉が発生したころである。 ヨーロッパでは、フランスで七月革命が発生。 インドでは、第一次アフガン戦争が勃発した。