2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧
17世紀前半、日本では江戸幕府の創成期である。徳川家康が江戸幕府を開き、大坂夏の陣で戦国時代を終わらせた時代である。 このころ、バルカン半島や小アジアを統治していたのはオスマン帝国であった。16世紀末、オスマン帝国に脅威が東に誕生した。サファヴ…
1960年代、日本では高度成長期に入り、東京オリンピックが開催された。 60年代は、キューバ危機で始まった。核戦争寸前までいったキューバ危機は平和裏に終結した。これにより米ソ関係は再び改善した。 しかし、アメリカは徐々に衰退傾向になった。ベトナム…
こんばんは、sekaishiotakuです。 明日から1880年代の世界史をアップします。よければポータルサイトの方から飛んでみてください。 5月3日の憲法記念日に合わせて、明治憲法が制定された1880年代の世界の歴史を見ていきます。お楽しみに https://sekaishiota…
17世紀後半のトルコ・ギリシャはオスマン帝国が支配していた。 オスマン帝国は、北方に大きな敵が誕生した。ロシア帝国である。ロシア帝国はピョートル大帝が皇帝になると黒海の北にあるアゾフ海へ進出した。 一方、バルカン半島では三十年戦争で弱体化した…
1970年代にはいると、アメリカは不況のど真ん中にあった。そのような中で誕生したのが誕生したのがニクソン共和党大統領であった。ニクソン大統領は泥沼化するベトナム戦争を解決するため、訪中した。さらに、ブレトンウッズ体制から離脱した。 しかし、弱っ…
18世紀前半のオスマン帝国(トルコ・ギリシャ)はチューリップ時代という文化が花開いた時代に入る。当時同盟国のフランスは太陽王ルイ14世の絶頂期でフランス文化がトルコの宮廷に大きな影響を与えた。 一方で、北(ロシア)と東(イラン)に2人の強敵が現…
1980年代前半、アメリカは大きな問題を抱えていた。経済面では70年代不況下にあり、外交面では新冷戦が始まっていた。 これを打開するために誕生したのが共和党のレーガン大統領である。レーガン大統領は強硬外交を進め、80年代の後半の冷戦終結に結び付いた…
18世紀後半、日本は江戸時代後期。松平定信の寛政の改革のころである。 オスマン帝国は黒海の北部クリミア半島周辺をめぐり、ロシア帝国との戦争を繰り返していた。この戦争は突如として終わった。フランス革命である。 詳細はこちら 18世紀後半のトルコ・ギ…
おはようございます。sekaishiotakuです。今週からはてなブログでは要約だけをかいて、メインの記事はリンク先の別のブログに書いていく感じで進めていきます。 80年代後半の最大の出来事は、冷戦の終結である。80年代に始まった「新冷戦」はレーガン大統領…
1800年代、日本は江戸時代後期。250年にわたる泰平な世を満喫していた。このころ、ヨーロッパではナポレオンがヨーロッパ各地へ遠征をしていた。その中にはオスマン帝国(エジプト)も含まれていた。
1990年代、日本はバブル経済が崩壊。失われた10年の時代に入る。このころ、アメリカでは冷戦が終結。アメリカの1人勝ちの状況となった。そのような中、IT革命がおきた。その象徴がWindows95である。これによりITバブルが発生した。
1810年代、日本は江戸時代後期。化政文化が花開いていたころである。ヨーロッパでは、ナポレオン戦争が終結。ウィーン会議で新体制が整った。 18世紀前半のオスマン帝国は、ムハンマド=アリーを軸に動いていた。この時期、ムハンマド=アリーの功績で、ワッ…
00年代、日本は小泉政権の時代である。 この頃、アメリカでは、共和党ブッシュ大統領が就任した。就任直後に9・11テロが発生。アフガニスタン戦争やイラク戦争が勃発した。ブッシュ大統領末期にはリーマンショックが発生。世界的な不況に発展した。
1820年代、日本は江戸時代後期。家斉バブルで化政文化が花開いていた。 このころ、オスマン帝国ではバルカン半島の独立運動に苦慮していた。ギリシャ独立戦争である。
今日から、アメリカ史編を始めます。今回は、共和党トランプ大統領と民主党オバマ大統領を比較しながら、共和党と民主党の違いを見ていきます。
1830年代、日本は江戸時代後半。化政文化が花開いたころである。 このころ、オスマン帝国は、エジプトの独立戦争に奔走していた。20年代のギリシャ独立戦争、30年代のエジプト=トルコ戦争で、ヨーロッパの進歩を目の当たりにした。これが、40年代の第一次タ…
今回は、イギリス編の最終回です。紀元前2世紀以前のイギリスを見ていきます。
1840年代、日本は江戸時代末期。清王朝のアヘン戦争で揺れていたころである。 このころ、オスマン帝国はエジプト=トルコ戦争への反省を踏まえ、改革を断行した。タンジマートである。
紀元前1世紀、東アジアは漢王朝の時代。前漢の武帝が活躍していたころである。この頃、ヨーロッパ(ローマ帝国)では内乱の1世紀といわれる内紛が絶えない時代を迎えていた。
1850年代、アメリカは日本へペリーを派遣した。ペリー来航である。なぜ、アメリカはこのタイミングで日本へ使者を送ったのだろうか。この時、ヨーロッパは世界的な戦争に巻き込まれていた。クリミア戦争である。
1世紀、東アジアでは漢王朝が復興し後漢の時代に入った。一方でローマ帝国ではキリスト教が成立。ネロ帝はキリスト教を迫害した。
1860年代、日本では、江戸時代が終わり明治時代に入った。日本は列強に追いつくため、さらに西洋化政策を進めた。一方、オスマン帝国も日本同様に西洋化政策を進めた。その中で台頭してきたいのが、日本では伊藤博文であり、オスマン帝国ではミドハトであっ…
2世紀、東西の2大帝国が反映した時代である。東には、漢王朝(後漢)が全盛期を迎えていた。一方、西には、ローマ帝国が五賢帝の全盛期を迎えていた。 当時のイギリスも、ローマ帝国の支配下にあった。