10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2世紀のイギリス ローマ帝国、ハドリアヌスの長城を築く

 2世紀、東西の2大帝国が反映した時代である。東には、漢王朝後漢)が全盛期を迎えていた。一方、西には、ローマ帝国五賢帝の全盛期を迎えていた。

 当時のイギリスも、ローマ帝国支配下にあった。

 

 前回の復習 ローマ帝国の影響力の低下

 3世紀、ローマ帝国は軍事皇帝時代に入り混乱状態にあった。属州の軍団長もローマのいうことを聞かなくなっていた。ガリア(フランス)も一時独自に政治を行っていた。

 今回は、全盛期のローマ帝国とイギリスの関係を見ていきます。

2世紀のローマ帝国 五賢帝の時代

ハドリアヌスの長城 スコットランドとの国境

 ローマ帝国の支配領域は、イギリス(ブリテン島)の南半分であった。北半分はケルト人(ピクト人)が治めていた。北方のケルト人はたびたびローマ帝国へ侵攻した。そのため、五賢帝の一人、ハドリアヌス帝は北方に長城を築いた。これがハドリアヌスの長城である。これにより、北部のスコットランドと南部のイングランドの国境が明確となった。

ロンドニウム(ロンドン)の建設

 ローマ帝国は、イギリス(ブリテン島)南東部、テムズ川のほとりに拠点を築いた。この拠点はロンドニウムと名付けられた。これが後のロンドンである。

 ロンドニウムは、ブリタニアの州都として繁栄した。ロンドニウムとイングランドの間にはローマ風の石畳の道が整備され、イングランドの各都市に、円形競技場(コロッセウム)などローマ風の建築が建てられた。

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2世紀に栄華を極めた2大帝国

 

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