10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1890年代の日本 明治(日清戦争) 国民軍体制の日本が傭兵軍団の清を破る。

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 朝鮮の独立をめぐり、日清戦争がおこる。戦力は圧倒的に清が優勢であったが、清軍はほぼ傭兵で忠誠心が低く、明治維新で国民軍体制を確立した日本が勝利した。日清戦争に勝利すると、清の最後の冊封国朝鮮を独立させ、清からは多額の賠償金とともに台湾朝鮮半島の付け根で北京近くの遼東半島を割譲する。

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1880年代の日本 明治 アジア初の国会開設のために奮闘した伊藤博文

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 1880年、国会開設デモをうけて、明治天皇は10年後に国会開設の詔を発布した。明治新政府はこの10年の政治課題は、国会開設のための憲法制定となった。当時の政治の中心物は伊藤博文であった。伊藤博文はみずからヨーロッパに憲法調査に向かった。伊藤博文が参考にしたのが、1871年プロイセンを中心に建国されたドイツ帝国である。当時のドイツ帝国の宰相はビスマルクであった。85年には、8世紀の奈良時代から続く太政官制から内閣制度へ移行。伊藤博文は初代内閣総理大臣となった。89年大日本帝国憲法を発布。90年に帝国議会(国会)を開設した。

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1870年代の日本 明治 職業軍人の武士からナポレオン型国民軍体制へ、

 明治新政府の下、次々政治改革が行われる。中央集権化を進める廃藩置県。税制改革(地租改正)徴兵制の導入などである。1800年代のナポレオン戦争で国民軍の強さが認められ、武士による職業軍人の世界から国民軍体制への移行が求められた。また、産業革命により、軍艦などの新兵器が登場。軍備にかかるコストは大幅に増加。税収の拡大は重要な明治新政府のテーマとなった。

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1860年代 幕末 幕末の英雄たちは日本海に進出するロシアから日本をいかに守ろうとしたか。

 いわゆる幕末は、この時代である。この激動な時代について書かれた本は多いのであっさりと進めさせて頂きます。
 このとき、徳川幕府は、天皇征夷大将軍の地位を返上し、江戸を無血開城した。これにより、明治新政府が樹立した。明治新政府は京都では、江戸城(現在の皇居)を引き続き政治の中心とし、江戸を東京と改称した。

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1850年代の日本 開国 クリミア戦争と蒸気船に乗ってきたペリー

 アヘン戦争で勝利したイギリスオホーツク海まで進出したロシアが54年ヨーロッパでクリミア戦争が勃発。その影響は東アジアまで波及した。そのため、両国は日本の開港を必要としていた。また、一方で、太平洋岸のカリフォルニアまで進出したアメリも太平洋に拠点を求めていた。
 この混乱期の前年(53年)、アメリカはペリーを日本に派遣。翌54年、鎖国下の日本と国交を樹立した。開国である。(日米和親条約
その後日本は、以下の5か国と国交を結んだ
 鎖国前から交易を行っていたオランダ、当時世界の覇権を握っていたイギリス、北海道をめぐって争っているロシア、そして、ナポレオン三世帝政下で海外侵略を繰り返していたフランスである。その後の日本の歴史はこれら5か国の影響を受けながら、進んでいく。
 56年、クリミア戦争終結すると、イギリス・フランスは清と戦争を開始(アロー戦争)、ロシアの仲介により清はイギリス、フランスと不平等条約を締結。ロシアもこれに追随した。その影響で、58年大老井伊直弼は通商の開始と不平等条約の締結を行った。(日米修好通商条約

1840年代の日本 開国前夜 アヘン戦争と遠山の金さん

 日本最強の将軍で化政文化の象徴である徳川家斉がなくなる。老中水野忠邦は、物価の安定化、財政改革、とともに、芝居などの江戸文化の取り締まりを行った(寛政の改革)。これに反発したのが江戸の町奉行遠山金四郎である。かれは、のちに遠山の金さんとして多くの芝居の題材となった。
 一方、海外の情勢は、清がアヘン戦争でイギリスに敗れ、ヨーロッパ列強による植民地政策が東アジアにも及び始めた。徳川幕府異国船打払令を廃止し、薪と水を与えてかえす方針に切り替えた(薪水給与令)
 一方、アメリカは、アメリカ=メキシコ戦争に勝利し、カリフォルニアを領有。その後、カリフォルニアでゴールドラッシュがおこる。当時は、大陸横断鉄道や飛行機がないため、陸路でロッキー山脈を越えることができず。主要なカリフォルニアへの交通は、海路であった。しかし、パナマ運河もない時代。南アメリカをぐるっと回るのは、マゼラン海峡の難所を越えなければならないので難しい。主要な航路は、大西洋を渡り、南アフリカ喜望峰を経て、インド洋をこえ、太平洋を渡る必要があった。そのため、アメリカはこれら地域に友好国を作る必要に迫られていた。

1830年代 家斉バブルの終焉

 江戸時代の日本は、化政文化バブルが終わりを告げた。原因は天保の大飢饉(米の不作)である。大阪の大塩平八郎の乱などの暴動(一揆や打ちこわし)が頻発した。そのような中、水野忠邦が老中になる。
25年に出された異国船打払令は大きな問題を発生させた。アメリカ船が日本人漂流民を日本に届ける際に砲撃を受ける事件が発生(モリソン号事件)。これに対し批判が続出。老中水野忠邦は、これに対し弾圧を行った(蛮社の獄)。当時のアメリカはジャクソン民主党大統領のもと西部開拓を進めていく一方、南部と北部の対立が始まっていた。