10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

紀元前3世紀の中国 秦王朝 中華最初の皇帝 始皇帝の中華統一と

紀元前7世紀から400年にわたった春秋・戦国の戦乱は、秦の始皇帝の中華統一によって幕を閉じた。しかし、始皇帝の急激な改革は、中華人民の信頼を得られなかった。そのため、秦王朝は統一後わずか15年の短命で終わった。しかし、始皇帝の政策は、漢王朝の基盤を支えることになった。 

 

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1830年代のフランス 七月王政 アルジェリア出兵と富裕層中心の七月王政

1830年シャルル10世北アフリカアルジェリアに出兵。同じころ、議会選挙で反王政派が大勝。シャルル10世は、これに対し議会を解散。これをきっかけに七月革命がおこる。
 反王政は、新国王ルイ=フィリップを擁立。七月王政が始まる。制限選挙の影響で大資本家向けの政治が行われる。このころ、アルジェリアをめぐり対立中のオスマン帝国では、エジプト=トルコ戦争が行われている。

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紀元前2世紀の中国 漢王朝 漢王朝の成立と武帝の全盛期

紀元前3世紀末、漢王朝が成立した。紀元前2世紀以降、漢王朝ローマ帝国という2大帝国が成立した。しかし、建国当初の漢王朝は絶対的な権力はなかった。しかし、呉楚七国の乱や武帝の海外遠征で強い皇帝権を確立していった。

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1840年代のフランス 七月王政 二月革命(48年革命)とナポレオン三世の登場

七月王政下のフランスは、立憲君主性になっていた。しかし、選挙権は貴族と少数の富裕層に限られた。そのため、都市労働者や産業資本家(中小企業の社長)は不満を持っていた。46年に凶作と不況が起こるとこれが爆発。48年二月革命が勃発。七月王政が倒れ、第二共和制へ移行した。第二共和制は、産業資本家と都市労働者が対立。そのなかで登場したのがナポレオン三世である。

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1850年代のフランス 第二帝政 ナポレオン三世の栄光 と クリミア戦争

 48年の2月革命で大統領になったナポレオン三世は、52年国民投票により皇帝になった。ナポレオン三世、農民、資本家、労働者の利害の異なる勢力に支えられていた。
英仏通商条約を締結し、自由貿易と国内産業育成に努めた。エジプトでスエズ運河の建設を始めるとともに、パリでは、インフラを整備し、55年万国博覧会を開催。一方で、対外戦争を進めることで利害対立を外に向けさせた。
 インフラの整備や、労働立法の改正で、ナポレオン三世は、労働者の支持を得ていった。一方で、工業化を進めることで資本家の支持も得た。

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紀元前1世紀の中国 漢王朝 武帝の財政改革

 漢皇帝の武帝は、積極的な対外戦争や大量の役人採用によって財政難に陥った。
 このころになると、重税や労役(対外戦争など)によって逃亡する農民が多くなった。彼らは、広大な土地を買い占めた豪族のもとで小作人として働くようになる。逃亡農民が増えると当然税収は減る。
そのため、経済統制を行った。塩などの専売(民間での販売を禁止し、国家が独占的に販売する。現在日本でいうたばこのようなもの)、モノの価格を国家がコントロールしようとした。しかし、失敗した。
 一方、武帝は、これまで主流だった法家や道家ではなく、秦王朝で弾圧されていた儒学を重んじた。
 また、司馬遷史記はこの時代に書かれた。

 武帝が87年に亡くなると、幼少の皇帝が続いた。その結果、皇帝の后(奥様)の一族<外戚>や後宮で后の世話をする役人<宦官>が勢力争いをして政治は混乱する。

1世紀の中国 漢王朝 光武帝の治世

 紀元後8年、外戚がクーデターを行うが、あまりにも実態に合わない急激な政治改革を行ったが失敗に終わる。この時代に中国の人口は半減し、2千万人となった。
 紀元後25年、このクーデターを治めた光武帝が即位する。都は、かつての周王朝の都洛陽に移した。それまで都は長安(BC3世紀の秦王朝期~)であった。
光武帝は、西方の調査隊を派遣。地中海沿岸のシリア(パルティア)までいく。
また、日本(倭)の奴国が使者をつかわしたのもこの時代である。
 紀元後57年、光武帝がなくなると、幼少の皇帝の時代が続く。そのため、皇帝の側近が事実上の政治を行う。郷挙里選で採用された地方の豪族と皇帝側近の役人(宦官)、后の一族(外戚)の間で権力闘争が続き、漢王朝の衰退がはじまる。

 このころ、仏教が中国に伝わる。