10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

紀元前5世紀のインド インド版宗教改革 仏教の誕生

インド編もそろそろクライマックスに近づいています。今回は紀元前5世紀のインドを見ていきます。紀元前5世紀のインド最大の出来事は仏教の成立です。今回は文教が成立した紀元前5世紀のインドの様子を見ていきます。

1730年代のイギリス 産業革命とウォルポールの平和

日本は江戸時代、暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗の時代である。このころ冷夏によって享保の大飢饉が発生した。 そのころ、イギリスは、内閣制度が確立した。ホイッグ党ウォルポール首相である。ウォルポールの平和外交を進めた。このころ、産業革命がおこった…

紀元前4世紀のインド アレキサンダー大王とマウリア朝の成立

紀元前4世紀、漢王朝はまだ存在せず。ローマはまだ都市国家であった。キリスト教もイスラム教もない時代である。 この紀元前4世紀最大の出来事は、アレキサンダー大王の東方遠征である。アレキサンダー大王は中東(オリエント)を統一するだけでなく、インド…

1740年代のイギリス 七年戦争の前哨戦 オーストリア継承戦争

日本は江戸時代。暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗の時代である。このころ、法令集である公事方御定書が作成された。 このころ、ヨーロッパでは、七年戦争の前哨戦であるオーストリア継承戦争が行われた。

紀元前3世紀のインド マウリア朝 アショーカ王の全盛期

紀元前3世紀、インドはマウリア朝の全盛期であった。この全盛期のマウリア朝を統治したのがアショーカ王である。

1750年代のイギリス 七年戦争勃発

日本は江戸時代中期である。このころ暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗が亡くなった。これにより享保の改革が終わった。しかし、この政策は田沼意次に引き継がれる。 18世紀のイギリスは、フランスと植民地戦争を展開していた。一方で、産業革命も進展していた。…

紀元前2世紀のインド マウリア朝の衰退と異民族の侵入

紀元前2世紀、中国では漢王朝(前漢)の時代で武帝の最盛期を迎えていた。イラン(ペルシア)では、パルティアの全盛期である。この頃のインドは、古代インドの四王朝時代。最初の王朝、マウリア朝が滅亡したのがこの時代である。

1760年代のイギリス 七年戦争終結

日本は江戸時代後期、田沼意次が側用人になったころである。このころ、ヨーロッパは七年戦争の真っただ中であった。七年戦争は、18世紀最大の戦争であり、舞台はヨーロッパにとどまらず、インドやアメリカ(新大陸)まで巻き込んだ戦争となった。

紀元前1世紀のインド 南インドで港湾国家サータヴァーハナ朝が成立

紀元前1世紀、インドはマウリア朝崩壊後の分裂期にあった。そのような中、南インドにサータヴァーハナ朝が成立した。サータヴァーハナ朝は、ローマ帝国との季節風貿易で大いに栄えた。

1770年代のイギリス アメリカ独立戦争勃発

日本は江戸時代後期、田沼意次が老中になったころである。このころ、イギリスは、アメリカ独立戦争の真っただ中にあった。当初、フランスなどのヨーロッパ諸国は中立の立場をとっていた。しかし、アメリカが互角に戦えるとわかると、フランスが参戦。イギリ…

1世紀のインド クシャーナ朝の成立

紀元前1世紀、インドは分裂状態にあった。そのような中、中央アジアからクシャーナ朝が侵入。クシャーナ朝が成立した。

1780年代のイギリス アメリカ独立戦争に敗戦

日本は江戸時代。松平定信の寛政の改革の時代である。この頃群馬の浅間山で大噴火。天明の大飢饉が発生した。 このころ、アメリカ独立戦争が終結。イギリスは、アメリカ13州の独立を承認し、カナダ以外の新大陸の拠点を放棄した。政治面では、トーリ党の小ピ…

2世紀のインド クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝の最盛期

2世紀のインドは、クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝の最盛期である。これを支えたのは、東の漢王朝と西のローマ帝国の存在である。

センター試験の過去問を解いてみた。2019年度本試験 4BC

問4 問5 問6 問7 問8 問9 問4 下線部④(漢代)の時期に起こった出来事として述べた文として正しいものを選べ ① 呉楚七国の乱がおこった。 〇 → 呉楚七国の乱の鎮圧により、武帝の全盛期が始まる。 ② 三省六部が設けられた × → 律令制の政治システム。律令制…

センター試験の過去問を解いてみた。2019年本試験 4A

問1 問2 問3 問1 下線部①(古代ギリシャ)について述べた文として正しいものを選べ ① ペロポネソス戦争で、スパルタはペルシアの支援を受けた。 〇 → ペロポネソス戦争は、紀元前5世紀後半の戦争。ペルシア戦争の報復戦争であるため、ペルシアは、アテネの…

センター試験の過去問を解いてみた。2019年度本試験 3BC

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

センター試験の過去問解いてみた。2019年本試験 3A

明けましておめでとうございます。sekaishiotakuです。

センター試験の過去問解いてみた。2019年本試験2BC

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 今日も、センター試験の過去問解いてみたをやってみます。

センター試験の過去問を解いてみた。2019年度本試験 2A

今日も、年末年始特別企画、センター試験の過去問解いてみたをやっていきます。

センター試験の過去問を解いてみた。2019年本試験 1BC

おはようございます。sekaishiotakuです。昨日に引き続き、センター試験の過去問にチャレンジしてみたいと思います。

センター試験の過去問にチャレンジしてみた。2019年本試験 問1A

おはようございます!sekaishiotakuです。今年の年末年始は、センター試験の過去問にチャレンジしてみようと思います。

1790年代のイギリス 小ピットはフランス革命にどのように対応したか

今回から、18世紀のイギリス史を見ていきます。イギリス史については18世紀も10年単位でみていきます。 1890年代、日本は江戸時代後期。寛政の改革をすすめる老中松平定信が失脚。徳川家斉の親政が始まる。これにより、江戸幕府は財政は厳しくなるが、江戸の…

3世紀のインド クシャーナ朝、ササン朝ペルシアによって滅亡

3世紀、日本は弥生時代である。卑弥呼が三国時代の魏王朝に使いを送ったころである。 このころインドは、古代インド四王朝の時代である。2番目の王朝クシャーナ朝が滅亡したのがこのころである。

1800年代のイギリス ナポレオン戦争と小ピット首相の死

1800年代、日本は江戸時代後期。このころヨーロッパはナポレオン戦争の真っただ中であった。 当時のイギリスの首相は、小ピットである。小ピット首相は、オーストリアやロシアと何度も同盟を結び、ナポレオンに抵抗し続けた。また、この時、海外植民地を多く…

4世紀のインド グプタ朝の成立

4世紀、日本では古墳時代。この時代の日本のことがよくわかっていない。それは中国が五胡十六国の戦乱の時代であったからである。 このころのインドは、古代四王朝の3番目グプタ朝の時代である。グプタ朝は4世紀に成立した。

1810年代のイギリス ナポレオン戦争に勝利し、イギリスは清王朝へ向かう

1810年代、日本は江戸時代後期。浮世絵で有名な化政文化の絶頂期であった。 このころ、ヨーロッパでは、ナポレオン戦争が終結。ウィーン体制がが成立した。

5世紀のインド 全盛期のグプタ朝にエフタル(ペルシア)が侵入

5世紀、日本では古墳時代。大和朝廷から中国(南北朝時代の南朝)へ何度も使者を送っていた。 このころ、インドはグプタ朝の時代である。

1820年代のイギリス カニング外交でオーストリアと対立

1820年代、日本は江戸時代後期。化政文化が花開いたころで、浮世絵などが書かれたのがこのころである。 このころ、ヨーロッパはナポレオン戦争後のつかの間の平和を享受していた。このころ、イギリスでは、ナポレオン戦争で活躍したトーリ党ジェンキンソン首…

6世紀のインド グプタ朝 グプタ朝の滅亡

6世紀、日本に仏教が伝来したころである。この仏教のふるさとインドはどのような状況下にあっただろうか。 インドでは、グプタ朝が滅亡し、分裂状態にあった。

1830年代のイギリス ホイッグ党グレイ首相の第一回選挙法改正

1830年代、日本は江戸時代後期。化政バブルの時代が終わり、寛政の大飢饉が発生していた。大塩平八郎の乱がおこったのもこのころである。 このころ、イギリスでは選挙法改正がおこなれた。これにより資本家(工場経営者)にも参政権が与えられた。外交では、…