10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

中国史

紀元前6世紀以前の中国 神話から孔子が生まれるまでの中国の歴史

漢代の歴史書『史記』によると、三皇五帝の時代で中国の歴史が始まったとされる。三皇五帝とは、中国の建国神話で、3人の神と5人の天子で中国が始まったとされる。その後、最初の王朝、夏王朝が成立されたとされる。夏王朝は、三皇五帝の最後の天子から禅譲…

紀元前5世紀の中国 春秋戦国の戦乱期 戦国時代の始まりと儒教の祖である孔子が生きた世界

紀元前5世紀、春秋時代から戦国時代に変る。この時代になると周王朝の権威はほとんどなく、実力主義の時代になった。この時代、諸子百家が誕生した。その中に孔子がはじめた儒教(当時は儒学)もあった。

紀元前4世紀の中国 春秋戦国の戦乱期 戦国七雄の富国強兵と諸子百家の台頭

4世紀の中国は、周王朝は存在していたが有名無実化していた。この時代は秦など戦国七雄による戦乱期であった。各国は諸子百家など実力者を採用し、経済を活性化して軍事力強化を図った。この政策を富国強兵という。

紀元前3世紀の中国 秦王朝 中華最初の皇帝 始皇帝の中華統一と

紀元前7世紀から400年にわたった春秋・戦国の戦乱は、秦の始皇帝の中華統一によって幕を閉じた。しかし、始皇帝の急激な改革は、中華人民の信頼を得られなかった。そのため、秦王朝は統一後わずか15年の短命で終わった。しかし、始皇帝の政策は、漢王朝の基…

紀元前2世紀の中国 漢王朝 漢王朝の成立と武帝の全盛期

紀元前3世紀末、漢王朝が成立した。紀元前2世紀以降、漢王朝とローマ帝国という2大帝国が成立した。しかし、建国当初の漢王朝は絶対的な権力はなかった。しかし、呉楚七国の乱や武帝の海外遠征で強い皇帝権を確立していった。

紀元前1世紀の中国 漢王朝 武帝の財政改革

漢皇帝の武帝は、積極的な対外戦争や大量の役人採用によって財政難に陥った。 このころになると、重税や労役(対外戦争など)によって逃亡する農民が多くなった。彼らは、広大な土地を買い占めた豪族のもとで小作人として働くようになる。逃亡農民が増えると…

1世紀の中国 漢王朝 光武帝の治世

紀元後8年、外戚がクーデターを行うが、あまりにも実態に合わない急激な政治改革を行ったが失敗に終わる。この時代に中国の人口は半減し、2千万人となった。 紀元後25年、このクーデターを治めた光武帝が即位する。都は、かつての周王朝の都洛陽に移した。そ…

2世紀の中国 漢王朝 漢王朝の衰退

豪族と皇帝側近の役人(宦官)、后の一族(外戚)との権力闘争はまだ続いていた。このころ、製紙技術が発達して、それまで竹に書かれていた文書が紙で書かれるようになる。このころベトナムにヨーロッパ(ローマ帝国)の使者が来る。そのような中で、184年宗…

3世紀の中国 魏晋南北朝時代 三国志の時代、曹操が作った政治システム

3世紀は、三国志の時代である。劉備や関羽、諸葛亮孔明が活躍したのがこの時代である。しかし、世界史的に重要なのは、曹操の画期的政策である。九品中正は6世紀聖徳太子の官位十二階につながる。なお、この時代に邪馬台国の卑弥呼は魏王朝に使いを送ってい…

4世紀の中国 魏晋南北朝の戦乱期 北は北方騎馬民族の短命王朝が続き、南朝では、晋王朝に多くの門閥貴族が避難

晋の統一で再び平和が訪れると思われた中国は、後継者争いで再び戦乱の世に戻った。華北では、五胡(ごこ)と呼ばれる異民族が交代で王朝を作った。一方で、江南では、晋王朝が遷都。多くの門閥貴族が避難した。このような戦乱期であったため、この時代の日…

5世紀の中国 南北朝時代 北魏が華北を統一。江南では貴族文化が花開く。

5世紀の日本は、各地で巨大古墳が作られた。また、このころ南朝に朝貢を行っていた。 そのころの中国では、華北の五胡十六国の戦乱が終わり、北魏が華北を統一。漢化政策を進めるとともに、各地に石窟寺院が作られた。一方、江南では、短命王朝が続いていた…

6世紀の中国 魏晋南北朝時代 戦乱の北魏、貴族社会の南朝、そして隋王朝が統一

6世紀の日本は、仏教が伝わった時代である。 このころの中国は南北朝時代がつづいていた。北朝の北魏は、軍人と文官が対立。軍人がクーデターを起こす。再び分裂し戦乱の世に戻る。一方、南朝は引き続き短命王朝が続いていた。一方で平和な時代が続き六朝文…

7世紀の中国 隋王朝から唐王朝 国際色豊かな長安と唐王朝

7世紀、日本は飛鳥時代に当たる。このころ、中国は、隋王朝が滅亡し、唐王朝が成立した。唐王朝は、科挙を行う一方で、門閥貴族を優遇した。都の長安は、ペルシア人や日本人も闊歩し、国際都市になっていた。唐王朝期の文化も国際文化豊かな文化となった。

8世紀の中国 唐王朝後期 楊貴妃とイスラム教が唐王朝を衰退させる。

唐王朝は、財政難にあった。玄宗皇帝は、節度使制度を導入した。これにより、事実上封建制度が復活した。8世紀半ばになると、節度使による反乱やイスラム国家の侵攻でさらに衰退した。8世紀後半になると税制を改革。均田制は事実上崩壊した。

9世紀の中国 唐王朝末期 地方政権に没落した唐王朝。新興地主層の台頭。

8世紀、日本は平安時代の初期にあたる。唐王朝は、かなり衰退していた。均田農民も事実上土地の私有が認められ、貧富の差が拡大した。唐王朝の衰退によって門閥貴族が没落する一方、新興地主層が台頭した。

10世紀の中国 五代十国の戦乱期 中国国内では軍人同士が争う中、門閥貴族が没落。

日本は、平安時代である。遣唐使を廃止し、ひらがなや寝殿造りなどの独自文化が花開き始めた。このころ唐王朝が滅亡。唐王朝を滅ぼした朱全忠も開封周辺しか統治ができず、地方は唐王朝期に成立した節度使が独自の政治を行っていた。中国の混乱期、周辺諸国…

11世紀の中国 宋王朝 新興地主層がつくる中国らしい宋王朝

11世紀 日本の平安時代後期で、藤原一族の摂関政治が終わりを迎えつつあった。 この時代の中国は宋王朝の時代だあった。10世紀の五代十国の戦乱で、唐王朝期の門閥貴族が没落。新興地主層が台頭してきた。また、門閥貴族の没落は、皇帝権力を高めた。一方で…

13世紀の中国 元王朝 モンゴル帝国、世界を席巻。

13世紀13世紀はモンゴルの世紀である。モンゴルの影響は、中国のみならず、東欧、イスラム社会、東南アジア、そして日本にも影響を与えた。当時の日本は、鎌倉時代であり、中国は、華北は女真族の金が支配しており、江南は、宋で農業も商業も目覚ましく発展…

14世紀の中国 モンゴルの元王朝から漢民族の明王朝へ 初代皇帝洪武帝、宋王朝の栄光を取り戻す。

鎌倉幕府の末期で、中国はモンゴル民族の元王朝の支配下にあった。このころ、世界各地で自然災害や疫病が多発した。51年、宗教反乱の紅巾の乱がおこる。68年明王朝が成立。元王朝は北方へ逃げた。98年、建文帝が即位すると、永楽帝がくーでたーを起こす。

15世紀の中国 明王朝 永楽帝と鄭和の大航海

15世紀、永楽帝が即位すると、対外遠征を行い領土を拡張した。明代の全盛期である。一方で、鄭和の大航海で多くの国に朝貢を促した。 15世紀後半、永楽帝がなくなると、北方では騎馬民族が侵攻。南では大規模な農民反乱がおこる。そのような中、上海周辺では…

16世紀の中国 明王朝 北虜南倭に悩まされる明王朝、自由貿易に踏み切る。

16世紀は大航海時代である。日本では戦国時代真っ只中、後半には織田信長・豊臣秀吉が活躍する甚大になる。明王朝は、北方の騎馬民族と南の闇貿易に悩まされていた。16世紀後半に登場した張居正は14世紀後半、明王朝当初から行われていた海禁政策をとき、自…

17世紀の中国 漢民族の明王朝から女真族の清王朝へ

17世紀、日本で江戸幕府が成立した。 同じころ、中国では、漢民族による明王朝から、中国東北部の狩猟民族女真族の清王朝へ王朝交代が行われていた。 中国東北部の女真族が清王朝を建国。おなじころ、明王朝は崩壊した。康熙帝が即位すると、三藩の乱で呉三…

18世紀の中国 清王朝 康熙帝、雍正帝、乾隆帝 清王朝の黄金期

日本は、江戸時代の中後期にあたる。中国は、清王朝下にあり、康熙帝から始まる黄金期にあった。その後、22年に雍正帝、35年に乾隆帝が即位。満州人は、明王朝の漢民族だけでなく、13世紀に世界を席巻したモンゴル民族も支配下に置いた。当時の皇帝は、独裁…

1800年代の中国 清王朝 嘉慶帝 中国南部から清王朝の崩壊の予感、イギリスと白蓮教徒の乱

清の衰退は、北京から遠い南部で始まった。96年四川省で始まった宗教反乱(白蓮教徒の乱)は、04年にようやく鎮圧された。しかし、これにより財政難になる。一方、外交では2大大国に挟まれていた。北方には、ロシア帝国。南方の広州ではイギリスとの貿易が始…

1810年代の中国 清王朝 ウィーン会議でイギリスが台頭

清王朝は、広州の麻薬中毒患者が増加したため、アヘン輸入の取り締まりを開始した。一方で、イギリス政府は清王朝と自由貿易交渉を行っている。

1920年代の中国 清王朝、道光帝の即位とイギリス麻薬(アヘン)密輸問題

清王朝は、広州の麻薬問題に苦しんでいた。このころ道光帝が即位した。

1830年代の中国 清王朝 道光帝 林則徐、イギリス商人のアヘン(麻薬)を没収

清王朝は、広州の麻薬問題に対して、39年林則徐を派遣した。林則徐はイギリス商人の麻薬(アヘン)を没収した。

1840年代の中国 清王朝 道光帝 清王朝の衰退の始まり、アヘン戦争でイギリスに敗れる。

イギリスは、林則徐の麻薬没収の報復として40年アヘン戦争を仕掛けた。清王朝はイギリスに敗北。多額の賠償金や治外法権などの不平等条約や香港の割譲を行った。(香港は1998年に中国に返還したが、この条約では返還義務はない。)同様な条約をアメリカ、フ…

1850年代の中国の歴史 清王朝 宗教反乱(太平天国の乱)中に、フランス・イギリス連合軍と戦う(アロー戦争)

香港近くの広東省で太平天国の乱がおきる。江南の南京を首都に独自政府を樹立した。太平天国の乱で混乱中の清王朝に対して、イギリス・フランス連合軍がアロー戦争(第二次アヘン戦争)を仕掛ける。清王朝は敗北し、ロシア帝国を仲介して北京条約を締結する。

1860年代の中国の歴史 清王朝 同治帝 宗教反乱(太平天国の乱)鎮圧で、漢人官僚が活躍

太平天国の乱で活躍した李鴻章 60年、北京条約でアロー戦争は終結したが、江南では、太平天国のキリスト教国家が成立していた。この鎮圧には、漢人官僚や外国人兵が活躍した。64年太平天国の乱が鎮圧されると一時的な安定期に入った。このころ漢人官僚を中心…