10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

16世紀の中国 明王朝 北虜南倭に悩まされる明王朝、自由貿易に踏み切る。

 16世紀は大航海時代である。日本では戦国時代真っ只中、後半には織田信長豊臣秀吉が活躍する甚大になる。明王朝は、北方の騎馬民族と南の闇貿易に悩まされていた。16世紀後半に登場した張居正は14世紀後半、明王朝当初から行われていた海禁政策をとき、自由貿易に踏み切った。
 一方で、銀が大量に流入。税制改革で一条鞭法が普及した。

  日本は、戦国時代である。
 明王朝は、北方騎馬民族の侵入と南の闇貿易の取り締まり苦しんでいた。(北虜南倭)。闇貿易商人は明王朝の取り締まりに抵抗するため武装化してきた。中国南部の闇貿易市場では、大航海時代で進出したポルトガル商人も参入して来た。57年、明王朝ポルトガルマカオ居住を認めた。このころ、騎馬民族の中心はオイラトからアルタン=ハンに変っていた。アルタン=ハンは、チベット・青梅を支配。チベット仏教を信仰。チベット仏教にダライ=ラマ制度を導入した。アルタン=ハンは何度も北京を包囲した。

 この時代は、日本の石見銀山(日本銀)やスペイン領アメリカ大陸の銀(メキシコ銀)が大きな輸入品となった。一方輸出品は生糸や陶磁器であった。景徳鎮(けいとくちん)は陶磁器の代表例である。
 銀の流入に伴い税制も変更し、唐代後期の8世紀から続いていた両税法から税や賦役が銀での納付に統一された(一条鞭法)。また、生糸や陶磁器が売れるようになると上海などの長江下流域では、工業が盛んになり、かつての穀倉地帯は綿花や桑の栽培に変った。その結果、コメの生産拠点は長江の中流域に変った。また、銀の流入は、農民の貧富の差の拡大をもたらした。そのため、小作料引き下げを求める農民闘争が盛んになった。そのため、江南の地主層は武装化した。武装化した地主層は、17世紀、明王朝を滅亡させる。
 農民の貧富の差の拡大は思想にも反映された。儒教では、王陽明が活躍。知行合一に代表される陽明学がさかんになった。陽明学は江戸時代に日本に伝わる。陽明学者としては大塩平八郎が有名だが、吉田松陰を通して幕末の志士にも伝わり、明治維新を思想面で支えた。

 68年、張居正が内閣大学士(15世紀前半永楽帝が作った役職)に就任。海禁政策(14世紀、洪武帝が実施)を停止した。これにより、江南の闇貿易は合法化された。このころになると、中国の貿易商人の中には、東南アジアへ移住するものもあらわれる。この結果、東南アジアに中国人町が形成され始める。北方騎馬民族のアルタン=ハンと和議を結び交易所を開設した。張居正は、一条鞭法を普及させた。これは8世紀の両税法制定時からの変化を反映させた。銀の流通。大土地所有。地主と小作人の関係。工業化などである。

 16世紀後半、日本は豊臣秀吉に統一されると92年朝鮮半島李氏朝鮮へ出兵した。明王朝李氏朝鮮に対し援軍をおくった。98年日本で豊臣秀吉が病死すると、撤兵した。
 また、オランダ人もアジア貿易に参加。台湾に拠点を築いた。
 中国東北部では、明王朝支配下にあったかつて金を建国した女真族は、ヌルハチのもと独立運動を始めた。(女真族は15世紀前半の永楽帝期に明王朝に服属した。)

そのころの日本は

 

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 その後の中国は

 

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