16世紀は戦国時代であり、織田信長や豊臣秀吉が活躍したのもこの時代である。この時代、ヨーロッパでは大航海時代で、おもにスペインポルトガルが世界を席巻した時代である。16世紀は、日本もヨーロッパも宗教的に大転換期にあった。日本では織田信長が比叡山の焼き討ちなどを行い、政教分離の徹底を行っていた頃、ドイツではルターが宗教改革が始まった。
ポルトガルは、東南アジアや中国のマカオに拠点を置き、日中の中継貿易で儲けようとして日本に入った。鉄砲を日本にもたらしたのもポルトガルである。一方、スペインは、アメリカ大陸のメキシコ、ペルーの巨大王朝を征服、フィリピンを拠点にキリスト教の布教による植民地支配を行おうとしていた。メキシコ銀で中国との交易も行っていた。ポルトガルはアジア・アフリカなど東回り航路を開拓した。こちらは、トルコのオスマン帝国、イランのサファヴィー朝、インドのムガル帝国、中国の明王朝など強国が目白押しで、交易を重視した。一方、後発のスペインは、アメリカ大陸方面の西廻り航路を開拓。大国がないので交易で儲けることができず、銀山の採掘などの搾取によって利益を得た。スペインが搾取した銀は、アジアの4強国に流れ、アジアの全盛期を迎えていた。
このような中、日本は、戦国大名が独自に地方政権を作っていた。このころ石見銀山の開発が進み、日本銀として多くの銀が明へ流れ、中国の好景気をもたらした。
そのような時代に、台頭したのが織田信長である。彼は、楽市楽座という規制緩和で経済力を高め、京都にいち早く入り、焦土と化した京都の復興に努めた。南蛮貿易でさらに経済力を強めると、常備軍や最新兵器鉄砲の大量製造で力をつけ、大きな権力をふるった。将軍を京都から追放し、室町幕府は滅亡した。
本能寺の変で織田信長がなくなると、豊臣秀吉が引き継ぎ、天下統一を果たした。秀吉は、刀狩りや検地で兵農分離と安定的な年貢の確保を行った。また、ポルトガルと同君連合になったスペインを警戒して、キリスト教の禁令を行った。また、衰退傾向の明に向かい、朝鮮出兵を行った。