このころ、インドはデリー=スルタン朝の時代である。15世紀に入ると効果技術が大幅に発展した。多くのスーパースターがインドを訪れた。15世紀初頭には、ティムールや明王朝(中国)の永楽帝の使者がインドに来訪。15世紀末には、大航海時代が始まり、パスコ=ダ=ガマがインドに到着した。
前回の復習 16世紀のインド
16世紀、インドはムガル帝国が建国された。一方で、ポルトガルがムスリム商人を排除してインドに拠点を置いた。
今回は、ムガル帝国建国前のインドの様子と、大航海時代前のアジアの交易の状況を見ていきます。
北インドのデリー=スルタン朝
デリー=スルタン朝とは
13世紀から15世紀にかけてのイスラム教の北インドの歴代王朝。この王朝はいずれもデリーを都とした。スルタンは、イスラム世界で王を表す言葉である。そのため、この時代をデリー=スルタン朝という。
トゥグルク朝 ティムールの侵入で滅亡
トゥグルク朝とは、14世紀初頭に成立した北インドのイスラム王朝である。国王はトルコ系であった。建国当初は全インドを支配していたが、南インドで多くの国が独立。13世紀末には北インドの王朝になっていた。
そのような中、インドの北西のアフガンから新たな敵が登場した。ティムールである。当時、ティムールは、旧チャガタイハン国と旧イルハン国を支配していた。これは中央アジアから中東までに達した。
98年、ティムールはインドへ侵攻し、デリーを占拠した。しかし、14世紀に入るとティムールは病死。ティムールのインドへの侵攻は止まった。しかし、このティムールの侵攻でトゥグルク朝は急速に衰退した。
サイイド朝 ~ティムール朝の支援を受ける~
14年、トルコ系のイスラム教国、サイイド朝が成立した。サイイド朝の国王は、トゥグルク朝のもと武将であった。サイイド朝は中東のティムール朝の保護を受けていた。
ロディ朝 ~アフガン人の台頭~
51年、インド北西部のパンジャーブ地方でアフガン人の連合政権ロディ朝を建国。デリーに入城した。
南インド カリカットに東西から使者が
東の明王朝の使者、鄭和
13世紀末、中国の明王朝で、クーデター(靖難の役)が発生。永楽帝が登場する。14世紀に入るとティムールが明王朝へ侵攻を計画。しかし、ティムール帝の死によってこの計画は亡くなった。
05年、永楽帝は鄭和を団長とした大船団を編成。鄭和に大航海を命じた。鄭和はイスラム教徒であり、当時イスラム商人が東南アジアまで進出していた。彼らを通じでインド洋の航海を行った。その時に拠点にしたのがインドのカリカットである。鄭和自身もカリカットで亡くなったといわれている。
30年、永楽帝がなくなると明王朝の大航海事業は亡くなった。そのためインドと中国の海上での交流は途絶えた。
ヒンドゥー教のヴィジャヤナガル王国
このころ、南インドは分裂した。南インドの主要な国は2つあった。ヒンドゥー教のヴィジャヤナガル王国とイスラム教のバフマニー王国である。一方では交易拠点であるカリカットは交易で莫大の富を得ていた。そのため、港湾国家として独立を維持した。
ヴィジャヤナガル王国は、中東から騎馬を輸入して武装力を上げていた。この頃、みな南インドでは象に乗って戦っていたので、ヴィジャヤナガル王国の騎馬軍団は近隣国に恐れられていた。
アラビア海を支配したマムルーク朝
アラビア海は、インド洋の一部でインド半島とアラビア半島の間にある海である。8世紀以降ムスリム商人の船がここで交易を行っていた。
このころ、アラビア海を支配していたのはマムルーク朝エジプトであった。そのためアジア各国の品々がカイロに集まった。これらがイタリア商人(ジェノヴァ商人やヴェネツィア商人)を通じでヨーロッパに流れた。そのため、マムルーク朝には莫大な富が集まった。
大航海時代の始まり、パスコ=ダ=ガマ
ポルトガルの大航海事業は、鄭和の大航海が始まった。15世紀初頭から始まった。このころ、アフリカ大陸の最南端は発見せれていなかった。そのため、アフリカの南に進んでもインドへ行ける保証はなかった。
88年、アフリカ最南端の喜望峰を発見。ついにインドへの航路を確保した。当時の
このころ、ジェノヴァ商人のコロンブスがポルトガル王室を訪れた。大西洋横断によるアジア航路の探検を申し出た。しかし、ポルトガルは、すでにインド航路を確保できたのでこれを支援しなかった。そのため、コロンブスは、ポルトガルのライバルであるスペインの支援で92年新大陸(アメリカ)を発見した。
コロンブスの新大陸の発見を受けて、2年後の94年、トルデシリャス条約を締結。東回り航路(アフリカ)はポルトガル。西回り航路(新大陸)はスペインに独占権を与えた。そのため、スペインがインドへ進出することはなかった。
そして、98年、インド最大の港カリカットにポルトガルの探検隊パスコ=ダ=ガマが到達した。
この頃の日本は
インドへ侵攻したティムール朝