10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

ロシア史

4世紀のロシア ビザンツ帝国 コンスタンティノープル遷都

4世紀、日本は古墳時代である。 このころの東欧ビザンツ帝国は、ローマ帝国であった。4世紀、ローマ帝国はコンスタンティノープルに遷都。そして、東西に分裂した。今回は、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルの登場とビザンツ帝国の前身東ローマ帝国…

5世紀のロシア ビザンツ帝国 西ローマ帝国の滅亡

5世紀、日本は古墳時代である。 4世紀末、ローマ帝国は東西に分裂した。ビザンツ帝国の前身東ローマ帝国の誕生である。東ローマ帝国は、ササン朝ペルシアと戦いながら東地中海を統治し続けた。 一方、西ローマ帝国はまもなく滅亡。西ヨーロッパはゲルマン民…

6世紀のロシア ビザンツ帝国 ユスティアヌス帝の地中海再統一

6世紀(501年~)、日本は飛鳥時代。仏教が日本に伝わったころである。 このころ、東欧のビザンツ帝国はユスティアヌス帝が地中海を再統一していた。 ビザンツ帝国は、4世紀に分裂したローマ帝国の東側に当たる。5世紀に西ローマ帝国は滅亡、ゲルマン民族の…

7世紀のロシア ビザンツ帝国 イスラム教の脅威

7世紀、日本は飛鳥時代。中大兄皇子が大化の改新を行ったころである。 このころ、東欧のビザンツ帝国は、バルカン半島と小アジアのみを支配していた。周辺には異民族がビザンツ帝国の領土を狙っていた。そして、7世紀に新たな脅威があらわれたイスラム教徒と…

8世紀のロシア ビザンツ帝国 レオン1世、聖像禁止令でローマ教会と対立

8世紀(701年~)、日本は奈良時代に当たる。奈良の大仏が完成したころである。 この時代、ロシアには統一的な国家はなく、東スラヴ人が生活していた。ここからはロシアの前身となったビザンツ帝国(東ローマ帝国)を中心としたバルカン半島の歴史を見ていき…

9世紀のロシア ロシアの成立

9世紀(800年~)、日本は平安時代初期。菅原道真が遣唐使を廃止したころである。 ロシアは、この時代に国家を形成した。ノヴゴロド国とキエフ公国である。 ロシア編ですが、当初ここで終了する予定でしたが、ロシアの前身であるビザンツ帝国(東ローマ帝国…

10世紀のロシア キエフ公国ウラディミル1世、キリスト教に改宗

10世紀(900年~)、日本は平安時代初期。菅原道真が遣唐使を廃止したころである。 このころ、ロシアはキエフ公国の時代である。10世紀末にはウラディミル1世が即位。ギリシア正教会(キリスト教)に改宗した。

11世紀のロシア 農奴制の導入と分裂するキエフ公国

11世紀(1000年~)、日本では源氏物語が書かれた時代である。 そのころ、ロシアはキエフ公国の時代である。ウラディミル1世の最盛期である。ギリシア正教会に改宗。ビザンツ帝国との関係性を深めていた。

12世紀のロシア キエフ公国 十字軍遠征の裏で分裂するキエフ公国

12世紀(1101年~)、日本は平安時代末期。平清盛や源頼朝などの武士が政治の中心を担う時代であった。 このころ、ヨーロッパの最大の出来事は十字軍であった。特に12世紀末に結成された第三回十字軍は、ドイツ、フランス、イギリスの連合軍となる大規模編成…

13世紀のロシア キプチャクハン国 バトゥのヨーロッパ遠征

13世紀はモンゴルの世紀である。ロシアも例外ではない。ロシアはこの時代にモンゴルに征服された。その時に建国されたのがキプチャクハン国である。 今回は、キプチャクハン国の建国者、バトゥを中心に13世紀のロシアの歴史を見ていく。

14世紀のロシア キプチャクハン国とモスクワ大公国

14世紀、日本は南北朝の動乱期である。このころ、世界は戦乱と黒死病などの疫病で暗黒な時代を迎えていた。 そのころ、ロシアは、モスクワ大公国の時代である。モスクワ大公国は、モンゴル人国家キプチャクハン国に貢納を行っていた。

15世紀のロシア イヴァン3世タタールのくびきから離脱

15世紀(1401年~)、日本は室町時代で、金閣寺や銀閣寺ができたころである。 このころ、ロシアは当時モスクワ大公国とよばれ、モンゴル人国家に貢納を行っていた。 ビザンツ帝国が滅亡すると、モスクワ大国はビザンツ皇族と婚姻関係をむすび、ビザンツ皇帝…

16世紀のロシア イヴァン4世(雷帝) 皇帝になる。

16世紀(1501年~1600ねん)、日本は戦国時代である。ヨーロッパでは大航海時代に入り、スペイン・ポルトガルの交易船が世界中を航海していた。 そのころ、ロシアはまだ東欧の小国であった。この時代、イヴァン4世の登場によりロシアは皇帝中心の国家建設を…

17世紀のロシア ロマノフ朝 ロシアが東欧の強国になるまで

17世紀(1600年代)、日本は江戸時代前期。徳川家康が江戸幕府をひらき、犬将軍徳川綱吉の時代である。 そのころ、ロシアは東欧の小国に過ぎなかった。当時の東欧の強国はポーランドとスウェーデンであった。ドイツ三十年戦争でプロテスタント国が勝利すると…

18世紀のロシア ロマノフ朝 北方戦争からポーランド分割まで

18世紀(1701年~1800年)、日本は江戸時代後期。生類憐みの令で有名な徳川綱吉から、松平定信の寛政の改革の時代である。 18世紀初頭のロシアは、まだ小国であった。しかし、北方戦争に勝利し次第に強国への道を進み始める。

ロシア史編 これまでの復習とこれからの予習

おはようございます。sekaishiotakuです。今日は、編集が間に合わずアップが遅くなり申し訳ありません。19世紀まで終わったので目次リストをアップします。

1800年代のロシア帝国 ロマノフ朝 アレクサンドル1世

1800年代、日本は江戸時代後期。徳川家斉の時代である。 このころ、ヨーロッパではナポレオンが皇帝になり、ナポレオン戦争の真っただ中にあった。 そのころ、ロシアは東ヨーロッパで名声を高めていたが、まだ強国といわれる立場ではなかった。このナポレオ…

1810年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル1世 ナポレオン戦争とウィーン会議でロシア帝国は強国に

1810年代、日本は江戸時代後期、化政文化が花開いていた時代であった。 このころ、ヨーロッパはナポレオン戦争の真っただ中にあった。1815年ウィーン海意義でナポレオン戦争は終結。1914年の第一次世界大戦までヨーロッパでは大きな戦争が起こらなくなる。 …

1820年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル1世 ギリシア独立戦争とデカブリストの乱

1820年代、日本は江戸時代後期。徳川家斉の大御所政治のおかげで江戸で化政文化が花開いている。 そのころ、ロシア帝国は

1830年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ1世 エジプト=トルコ戦争とショパン

1830年代、日本は江戸時代後期。寛政の大飢饉で苦しんでいた。 そのころ、ロシアは、2つの地域に注目していた。ポーランドとオスマン帝国である。

1840年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ1世 48年革命でロシアの地位が上がる

1840年代、日本は寛政の改革が行われ、アヘン戦争で動揺していた。 同じころ、ヨーロッパでは48年の自由主義革命の真っただ中にあった。 このころ、ロシアの課題は不凍港の獲得であった。そのため、オスマン帝国のダーダネルス=ボスフォラス海峡の自由航行…

1850年代のロシア帝国 ロマノフ朝 ニコライ1世 19世紀最大の戦争、クリミア戦争

1850年代、日本にはペリーが来航。幕末の動乱が始まった。 このころ、ロシア帝国は大きな戦争がおこった。クリミア戦争である。

1860年代のロシア帝国 ロマノフ朝 アレクサンドル2世 クリミア戦争のリベンジにむけて、農奴解放令

1860年代、日本では大政奉還が行われ、明治新政府が成立した。 このころ、ロシア帝国はクリミア戦争の敗戦から、改革の断行を進めていた。その代表例が農奴解放令である。

1870年代のロシア ロマノフ朝 ロシア版三国干渉 ベルリン条約

1870年代、日本は明治時代。明治初期で幕末の雰囲気がまだ残っていたことである。 このころロシアは、クリミア戦争にリベンジマッチに燃えていた。77年にロシア=トルコ戦争に勝利。しかし、ロシアの地中海進出にイギリスなどが警戒。ベルリン会議が開かれて…

1880年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル3世 中央アジアをめぐりイギリスと対立

1880年代、日本は大日本帝国憲法を成立。国会を開設した。 このころ、ロシアは

1890年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル3世 露仏同盟と中国進出

1890年代、日本が日清戦争の勝利で沸いていた。 このころ、ロシアは東西の大事件で変革期を迎えていた。 西のドイツでは、ビスマルクが引退。ドイツとの再保障条約が更新されなく、露仏同盟の締結となった。 東の清王朝(中国)は日清戦争に敗北。ロシアは、…

1900年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ2世 日露戦争の敗北でグレートゲームが終了

1900年代、ロシアは日露戦争に敗北。その後、ロシアはイギリスと英露協商を締結。19世紀100年間にわたる、イギリスとロシアのグレートゲームはここに終わる。 一方、このころ革命勢力が次々と結成されていた。

1910年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ2世 第1次世界大戦とロシア革命

1910年代、第1次世界大戦が勃発した。この第1次世界大戦下のロシア帝国でロシア革命は勃発した。

1920年代のロシア ソビエト連邦 レーニン レーニンの死

1920年代、日本は関東大震災から長期不況の中にあった。また、アメリカは栄光の20年代を謳歌していた。そのころ、建国したばかりのソ連は、建国の父レーニンが亡くなり、スターリン体制が確立された。

1930年代のロシア ソビエト連邦 スターリン書記長 世界恐慌の影響を受けないソ連

1930年代、世界恐慌の真っただ中にあった。しかし、社会主義国になったソ連は世界恐慌の影響を受けなかった。 世界恐慌による失業率の増大、普通選挙(納税額によらない議会選挙)による労働者の増大は、各国共産党を躍進させた。これは時の政権にとって厄介…