10世紀の日本は、平安時代の中期。遣唐使を廃止し、十二単(じゅうにひとえ)や寝殿造りに象徴される国風文化が花開いた。
そのころ、ペルシアは、アラブ人(アッバース朝)の支配を受けていた。しかし、32年ペルシア系ブワイフ朝が成立。
イスラム版鎌倉幕府 ペルシア系ブワイフ朝
32年、アッバース朝のペルシア系軍人が独立。これにより、アラブ人の支配から名実ともに脱却した。
32年 ブワイフ朝成立
イスラム版 鎌倉幕府 → 武家政権の樹立
アッバース朝、アミールの称号
穏健派 → アッバース朝(スンニ派)を存続
アッバース朝は、政治的実権を失い、
宗教的権威(カリフ)として13世紀まで存続
シーア派過激派 → イスマイール派(ファーティマ朝エジプト)
武士に給料を払う代わりに、地方の徴税権を与える。
10世紀中ごろペルシアでトルコ人王朝が成立
ペルシア東部から中央アジアを支配していたペルシア系サーマーン朝は2つのトルコ人国家に滅ぼされる。
カラ=ハン朝
トルコ人初のイスラム王朝
840年 中央アジア(トルキスタン)に成立
55年 イスラム教に改宗
→ このころからトルコ人のイスラム教信仰が始まる。
99年 ペルシア系サーマーン朝を滅ぼす
→ 中央アジアのトルコ化が始まる。
ガズナ朝
アフガンに成立したトルコ系
62年 ペルシア系サーマーン朝から独立
それまでは、マムルーク(軍人奴隷)としてサーマーン朝に仕えていた。
98年 マフムードが即位 全盛期を迎える。
このころから、インドへの侵攻を繰り返す。
10世紀末のペルシアの状況
西部 バグダードを支配するイスラム教シーア派ブワイフ朝
宗教的権威(カリフ)としてのアッバース朝
東北部 中央アジアから進出したトルコ系カラ=ハン朝
東南部 アフガンを治めるカズナ朝
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は