12世紀のペルシア 群雄割拠の時代
11世紀に勢力を伸ばしたセルジューク朝が衰退していく時代である。中国からは女真族(金)に敗れた北方騎馬民族契丹族(遼)が西からは十字軍とエジプトが攻めてくる時代である。
12世紀初頭のペルシアの状況
中央アジア → イスラム教国 カラ=ハン朝
9世紀に成立したトルコ系イスラム国家
カズナ朝、セルジューク朝におされて衰退傾向
ペルシア西南部 → イスラム教国 ホラズム
11世紀、セルジューク朝から独立
周辺国が衰退し、12世紀に勢力を伸ばす
パキスタン → イスラム教国 カズナ朝
トルコ系イスラム王朝
たびたび、北インドへ侵攻、インドのイスラム化へ寄与
ペルシア東部 → セルジューク
このころ、セルジューク朝は、分裂していた。
本家 イラク=セルジューク朝 → メソポタミア(イラク)
ルーム=セルジューク朝 → 小アジア(トルコ)
シリア=セルジューク朝 → シリア(地中海西岸)
ケルマーン=セルジューク朝 → ペルシア(イラン)
12世紀のペルシア国家の興亡
北方騎馬民族、カラ=キタイの侵攻
中国の北方騎馬民族 → 仏教国
金・宋連合軍に敗退した遼の残党
15年、遼滅亡
32年 中央アジア、カラ=キタイ(西遼)がカラ=ハン国を滅ぼす
44年 中央アジアのカラ=キタイ国、セルジューク朝トルコに勝利
サマルカンドなどを獲得
当時のセルジューク朝は東西から攻められていた。
東 カラ=キタイ
西 十字軍
南 ファーティマ朝エジプト シリアをめぐり戦う
51年 セルジューク朝トルコ、宗家が滅亡
インドにイスラム王朝成立ゴール朝
48年 ゴール朝、アフガニスタンのカズナ朝から独立
86年 ゴール朝、アフガニスタンのカズナ朝をほろぼす
92年 ゴール朝、北インドを平定
94年 セルジューク朝滅亡
12世紀末のイスラム王朝
中央アジア → カラ=キタイ(西遼)
ペルシア西南部 → ホラズム
パキスタン・インド → ゴール朝
13世紀、チンギス=ハンがこれらの国を飲み込んでいく。
次回予告
「12世紀のペルシア 」
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は