11世紀、日本は平安時代後期。源氏物語の舞台となった時代である。
このころ、インドはヒンドゥー教国家が乱立していた。11世紀初頭、イスラム勢力のカズナ朝アフガンが全盛期を迎えた。これのカズナ朝が侵攻てきた。11世後半になると中国に宋王朝が成立。インドからも朝貢が行われた。
前回の復習 ラージプート時代とは
7世紀から11世紀のインドはラージプート時代である。
ラージプート時代は、インド版南北朝時代である。デリーを中心とした北インドとデカン高原にヒンドゥー教王朝が成立した時代である。一方で西からはイスラム勢力が、東からは仏教勢力が迫っていた。
西にはアフガン系カズナ朝が全盛期を迎える。
11世紀初頭、カズナ朝は全盛期を迎えていた。その時の王はマフムードであった。
しかし、30年代に入るとカズナの支配下にあったセルジューク朝トルコが独立。急激に勢力を拡大した。そのため、カズナ朝は衰退傾向に入った。
北インドのチャーハマーナ朝
11世紀初頭、ラーシュトラクータ朝は衰退傾向になっていた。そのようなときにアフガン系カズナ朝のマフムードが北インドへ侵攻した。北インドのヒンドゥー教勢力はラーシュトラクータ朝にかわる守り手を欲していた。そこに登場したのがチャーハマーナ朝である。
30年代に入り、カズナ朝の侵攻がやむと、チャーハマーナ朝の最盛期が訪れた。
南インドの後期チャールキヤ朝
東チャールキヤ朝をめぐり、タミル人王朝後期チョーラ朝と争うことになった。当時のチョーラ朝は全盛期である。スリランカの北半分を支配下に置いた。
南端タミル人国家後期チョーラ朝
チョーラ朝は、インド南端部にあるヒンドゥー教のタミル人国家である。このこチョーラ朝の全盛期であった。
このころ、タミル人は仏教国スリランカへ侵攻。北半分を獲得した。11世紀後半になるとデカン高原の後期チャールキヤ朝と争うようになる。この頃から宋王朝へ朝貢を行うようになる。
東にはパガン朝ミャンマー
パーラ朝は、北東部ベンガル州の仏教国。ナーランダー僧院の守り手でもあった。
ベンガル州のパーラ朝は地方の有力者が次々独立。デカン高原の後期チャールキヤ朝や南インドの後期チョーラ朝の攻撃を受け、衰退した。
パーマ朝のあるベンガル州の東、ミャンマーではパガン朝が成立した。パガン朝も仏教王朝であった。パガン朝はスリランカの上座部仏教の影響を受けていた。
このころの日本は
インドに侵攻したカズナ朝とは