10世紀、日本は平安時代中期。唐王朝が衰退し、日本独自の文化が形成された時代である。
このころ、インドはラージプート時代と呼ばれる戦乱期にあった。
- 前回までの復習 11世紀のインド
- ラージプート時代とは
- アフガニスタンにイスラム勢力カズナ朝が成立
- 北インドでチャーマハーナ朝が成立
- 南インドで後期チャールキヤ朝が成立
- 東インドの仏教国パーマ朝
- タミル人王朝後期チョーラ朝
前回までの復習 11世紀のインド
7世紀から12世紀のインドはラージプート時代と呼ばれる戦乱期であった。11世紀に入るとアフガンのイスラム勢力がたびたびインドへ侵攻してきた。10世紀のインドの戦乱の状況とイスラム勢力の拡大過程を見ていきます。
ラージプート時代とは
ラージプート時代とは、7世紀のヴァルダナ朝滅亡から13世紀の奴隷王朝成立までのヒンドゥー教国同士の戦乱期である。10世紀はちょうどその中間点に当たる。10世紀初頭、有力国は3つあった。北インド(デリー)のヒンドゥー教国プラティハーラ朝、南インド(デカン高原)のヒンドゥー教国ラシュトラクータ朝、東インド(ベンガル州)のパーマ朝である。
しかし、このときプラティハーラ朝とラシュトラクータ朝が滅亡。代わりにチャーマハーナ朝とチャールキア朝が成立した。
アフガニスタンにイスラム勢力カズナ朝が成立
ガズナ朝は、インド北東部アフガンで成立したイスラム国である。10世紀半ばに成立した。
98年に即位したマフムードの時代になると全盛期を迎えた。このころ、インドへの侵攻を何度も行った。特に攻撃を受けたのが北インドのプラティハーラ朝である。プラティハーラ朝の都カナウジは廃墟となった。ちなみにカナウジは7世紀ヴァルダナ朝時代からの都である。
北インドでチャーマハーナ朝が成立
9世紀初頭、北インド(デリー)のプラティハーラ朝は、南インドのラーシュトラクータ朝の侵攻を受けて弱体化した。10世紀に入ると全盛期のカズナ朝アフガンが侵攻。プラティーハーラ朝はすいたいした。
10世紀半ば、チャーマハーナ朝がプラティハーラ朝から独立した。
南インドで後期チャールキヤ朝が成立
10世紀、南インドではラーシュトラクータ朝から後期チャールキヤ朝が独立した。
元のチャールキヤ朝は、6世紀に南にインドを統治していたタミル人(ドラヴィダ人)の王朝、ヴァルダナ朝の南インド侵攻を撃退した。ただ、10世紀までラーシュトラクータ朝の支配下にあった。
東インドの仏教国パーマ朝
9世紀初頭、ラーシュトラクータ朝がプラティーハーラ朝に侵攻。この混乱に乗じてパーマ朝も領土を拡大した。
10世紀になると東部でカーンティデーヴァが独立
タミル人王朝後期チョーラ朝
パーンディヤ朝を破った。このとき、スリランカもチョーラ朝を攻撃した。しかしチョーラ朝はこれを撃退した。
この頃の日本は
カズナ朝とイスラム教の状況は