10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

8世紀のインド ラージプート時代 イスラム勢力の侵攻と日本へ僧侶を派遣

 8世紀、日本は奈良時代奈良の大仏ができたのはこの頃である。この大仏に眼を入れたのがインドの僧である。そのころのインドはどのような状況であっただろうか。

 実は、このころのインドは戦乱期であった。ラージプート時代といわれている。8世紀は、ラージプート勢力の成立過程の時代であった。

 

前回までの復習 ラージプート時代の戦乱期

 インドは、7世紀にヴァルダナ朝が滅亡して以降、13世紀に奴隷王朝が成立するまで戦乱の時代が続いていた。ラージプート時代である。この時できた国は、仏教、ヒンドゥー教イスラム教の勢力が互いに争った。そのため、インドはこれらの宗教が交じり合い神秘的なインドの印象が形成された。

 9世紀は、ラージプート勢力の最盛期であった。

8世紀前半、イスラム勢力の侵攻

8世紀の仏教

 8世紀初頭、東アジアは唐王朝を中心とした一大文化圏が形成された。奈良時代の日本もここに組み込まれていた。唐王朝は北方の異民族の国である。中国古来の漢民族に文化的に抵抗する必要があった。その際に使用されたのが仏教である。日本でも各地に国分寺が建立。さらに、奈良に大仏を建立した。大仏の開眼式では、インドから僧侶をまねいた。

 しかし、仏教の守り手であったヴァルダナ朝は、7世紀に滅亡。インドは無政府状態であった。

イスラム勢力の侵攻

 イスラム教は7世紀初頭に成立した若い宗教である。8世紀初頭、中東はウマイヤ朝で統一されていた。フランク王国(フランス)へ侵攻したのもこのころである。(トゥール=ポワティエ間の戦い)

 朝は、この時インドへも侵攻した。

 

 

アッバース革命とラージプート勢力の台頭

アッバース革命

 8世紀半ば、中東で大きな革命が起きた。アッバース革命でウマイヤ朝が崩壊。ペルシア系のアッバース朝が成立した。成立したアッバース朝は、東へ向かった。分裂状態のインドではなく、唐王朝である。タラス河畔の戦いである。唐王朝はタラス河畔の戦いに敗北。唐王朝は衰退期に入った。

ベンガル州にパーラ朝、インド仏教の最後の守り手

  このころ、奈良時代の日本では、大仏が完成。開眼式が行われた。この開眼式ではインド人僧侶が招かれた。

  8世紀、ベンガル州は無政府状態であった。この頃になるとデリーのプラティハーラ朝やデカン高原のラーシュトラクータ朝の脅威にさらされていた。そのため、選挙で王朝を作った。これがパーラ朝である。
 パーラ朝は、5世紀のグプタ朝時代に作られたナーランダー僧院を守るとともに多くの仏教寺院を作った。
 8世後半になると、デカン高原のラーシュトラクータ朝を破り、全盛期を迎える。

 

南インドにラシュトラクータ朝が成立

 南インドでは、ドラヴィダ人国家チャールキヤ朝があった。8世紀中ごろ、ラシュトラクータ朝が台頭。チャールキヤ朝を滅ぼした。このチャールキヤ朝は10世紀に復活。ラシュトラクータ朝を滅ぼした。
 8世紀後半に入ると北インドへ侵攻。東インドのパーラ朝からインド東南部を獲得。南インドの大部分を支配した。
また、インド南部の世界遺産エローラ石窟寺院が造られたのも、この時代である。このエローラ石窟寺院はヒンドゥー教の寺院である。
 

 

この頃の日本は

 

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 衰退期へ向かう唐王朝

 

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 このころのイスラム勢力は

 

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