紀元前4世紀、漢王朝はまだ存在せず。ローマはまだ都市国家であった。キリスト教もイスラム教もない時代である。
この紀元前4世紀最大の出来事は、アレキサンダー大王の東方遠征である。アレキサンダー大王は中東(オリエント)を統一するだけでなく、インドへも侵攻した。今回は、アレキサンダー大王がインドに及ぼした影響を見ていきます。
これまでの復習 古代インド4王朝
インドは、紀元前4世紀から7世紀にかけて4つの王朝が成立した。マウリア朝、クシャーナ朝、グプタ朝、ヴァルダナ朝である。今回は、最初の王朝マウリア朝の成立過程をみていきます。
マウリア朝成立前のインド
紀元前4世紀、インドの中心部は、北東部のガンジス川中下流域であった。この地域にはアーリア人が多く住んでいた。当時、この地域に多くの都市国家が建設された。その中で有力な国はマガタ国であった。都市国家の王は、クシャトリアと呼ばれ、仏教を信仰するものが多かった。一方で庶民の間ではシヴァ神などを主神となる様々な神を信仰するようになった。これらの宗教はのちにヒンドゥー教として統合されていく。
アレキサンダー大王がインドへ侵攻
紀元前4世紀後半、世界を揺るがす一人の大王が即位した。アレキサンダー大王である。
38年、アレキサンダー大王の父フィリポス2世がギリシャを統一した。36年、マケドニアにアレキサンダー大王が即位。33年、オリエントの大国アケメネス朝ペルシアを打ち破った。26年にはアレキサンダー大王軍はインダス川まで勢力を伸ばした。しかし、アレキサンダーの進軍はここで止まった。その後、23年にアレキサンダー大王が亡くなるとマケドニアは再び分裂した。
マウリア朝の成立
17年、インド北東部のマガタ国で王朝交代が行われた。マウリア朝が成立した。初代国王は、チャンドラグプタ王である。のちに成立するグプタ朝も初代国王はチャンドラグプタ1世と名乗った。都はガンジス川下流域のパータリプトラに置かれた。
マガタ国は、インド北東部(ガンジス川流域中下流域)の都市国家のひとつである。紀元前5世紀に当時の有力国コーサラ国を制圧。インド最大の都市国家となった。そして、パータリプトラが建設された。
マウリア朝は、アレキサンダー大王で疲弊したインド西北部(インダス川流域)へ侵攻。北インドを統一した。
この頃の他の国は