紀元前3世紀、インドはマウリア朝の全盛期であった。この全盛期のマウリア朝を統治したのがアショーカ王である。
前回の復習 古代インドの4王朝
紀元前4世紀から紀元後7世紀にかけて、インドには4つの王朝が成立した。紀元前4世紀に成立したマウリア朝、1世紀に成立したクシャーナ朝、4世紀に成立したグプタ朝、そして7世紀に成立したヴァルダナ朝である。
最初の王朝、マウリア朝はガンジス川下流域(インド北東部)のベンガル州のパターリプトラを都にした王朝である。今回は、このマウリア朝の最盛期、アショーカ王の時代を見ていく。
マウリア朝全盛期のアショーカ王
全インドを統一し、スリランカ
アショーカ王は南インドへ侵攻し、全インドを統一した。サータヴァーハナ朝などの南インドの国々は、マウリア朝に朝貢を行った。
ダルマ(法律)による統治
アショーカは、インドを統一すると、武力による弾圧をやめ、ダルマによる統治を行った。ダルマとは、古代インドにおける社会理念を文書化したものである。いわば法律のようなものである。ダルマは石柱碑(ストゥーパ)や磨崖碑をつうじて全インドに伝えられた。
仏教の保護
アショーカ王は、インド征服活動による犠牲者を弔うため、仏教を保護した。
第3回仏典結集を行った。仏典結集とは、仏教の経典をまとめる一大事業である。キリスト教でいう公会議である。そのため、仏教結集を行うのは、偉大な王の象徴となる。ちなみに、第4回仏典結集が行われたのは2世紀のクシャーナ朝カニシカ王の時代である。
当時の仏教は、日本に伝わった大乗仏教ではなく、上座部仏教である。ちなみに日本に伝わった大乗仏教は2世紀クシャーナ朝の時代に登場する。アショーカ王はスリランカに仏教の布教を行った。
アショーカ王が退位し、マウリア朝は分裂
アショーカ王が退位すると、インドは再び分裂した。これにともない仏教も衰退した。2世紀になり、インド本土で大乗仏教が中心となった。
そのため、上座部仏教の中心はスリランカが中心となった。上座部仏教は、スリランカを通じて、東南アジア全域に伝わった。
この頃の中国は
このころのイラン(ペルシア)は
このころのヨーロッパは