10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

紀元前3世紀のインド マウリア朝 アショーカ王の全盛期

 紀元前3世紀、インドはマウリア朝の全盛期であった。この全盛期のマウリア朝を統治したのがアショーカ王である。

 

 前回の復習 古代インドの4王朝

 紀元前4世紀から紀元後7世紀にかけて、インドには4つの王朝が成立した。紀元前4世紀に成立したマウリア朝、1世紀に成立したクシャーナ朝、4世紀に成立したグプタ朝、そして7世紀に成立したヴァルダナ朝である。

 最初の王朝、マウリア朝はガンジス川下流域(インド北東部)のベンガル州のパターリプトラを都にした王朝である。今回は、このマウリア朝の最盛期、アショーカ王の時代を見ていく。

マウリア朝全盛期のアショーカ王

全インドを統一し、スリランカ

 アショーカ王南インドへ侵攻し、全インドを統一した。サータヴァーハナ朝などの南インドの国々は、マウリア朝に朝貢を行った。

ダルマ(法律)による統治

 アショーカは、インドを統一すると、武力による弾圧をやめ、ダルマによる統治を行った。ダルマとは、古代インドにおける社会理念を文書化したものである。いわば法律のようなものである。ダルマは石柱碑(ストゥーパ磨崖碑をつうじて全インドに伝えられた。

仏教の保護

 アショーカ王は、インド征服活動による犠牲者を弔うため、仏教を保護した。

 第3回仏典結集を行った。仏典結集とは、仏教の経典をまとめる一大事業である。キリスト教でいう公会議である。そのため、仏教結集を行うのは、偉大な王の象徴となる。ちなみに、第4回仏典結集が行われたのは2世紀のクシャーナ朝カニシカ王の時代である。

 当時の仏教は、日本に伝わった大乗仏教ではなく、上座部仏教である。ちなみに日本に伝わった大乗仏教は2世紀クシャーナ朝の時代に登場する。アショーカ王スリランカに仏教の布教を行った。

アショーカ王が退位し、マウリア朝は分裂

 アショーカ王が退位すると、インドは再び分裂した。これにともない仏教も衰退した。2世紀になり、インド本土で大乗仏教が中心となった。

 そのため、上座部仏教の中心はスリランカが中心となった。上座部仏教は、スリランカを通じて、東南アジア全域に伝わった。

この頃の中国は

 

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 このころのイラン(ペルシア)は

 

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 このころのヨーロッパは

 

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