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紀元前5世紀のインド インド版宗教改革 仏教の誕生

 インド編もそろそろクライマックスに近づいています。今回は紀元前5世紀のインドを見ていきます。紀元前5世紀のインド最大の出来事は仏教の成立です。今回は文教が成立した紀元前5世紀のインドの様子を見ていきます。

 

 前回の復習 インドの古代四王朝

 紀元前4世紀から7世紀にかけて、インドでは4つの王朝が成立した。マウリア朝、クシャーナ朝グプタ朝、ヴァルダナ朝である。
 今回から、マウリア朝成立前の都市国家時代を見ていく。インドは中国やペルシアと違い異民族がなかなか入りずらい地域である。その理由は、当時の脅威であった騎馬民族の居住する草原エリアからかなり離れていた。そして、インドの北にあるヒマラヤ山脈が異民族の侵入を防いでいた。そのため、インドは日本のように独自文化を形成委するようになる。


紀元前5世紀は、戦乱と思想の時代

 紀元前5世紀、東西の帝国は衰退していた。中国は春秋時代から戦国時代に移っていた。この頃になると周王朝の権威はほとんどなくなっていた。一方、オリエントでは、オリエントを統一したアケメネス朝ペルシアがヨーロッパの小国がギリシアに敗れた。ペルシャ戦争である。これにより、アケメネス朝ペルシャは衰退し始めた。
 このような戦乱の時代、東西で思想家が誕生した。中国では、孔子儒教を広めた。一方で、ギリシャではギリシャ哲学の時代を迎えた。

仏教が成立する前のインド 後期ヴェーダ時代

 紀元前5世紀、インドの中心部はインド北東部のインダス川下流域であった。この地域には都市国家群が形成された。紀元前5世紀になるとコーサラ国やマガタ国など有力国が登場した。
 インドではこのころになると階級社会(ヴェルダ制)が成立した。上から聖職者であるバラモン、武士階級であるクシャトリヤ、庶民(農民や商人)であるヴァイシャ、そして奴隷であるシュードラである。バラモンからシュードラまではアーリヤ人が占めていた。シュードラドラヴィダ人などの先住民族が占めていた。

バラモン教運動 バラモン(聖職者)vsクシャトリヤ(国王、武士)

 紀元前5世紀、インドの宗教はバラモン教であった。バラモン教は、複雑な祭祀を執り行う宗教であった。そのやり方を把握しているものが聖職者であるバラモンであった。その知識の差によって、クシャトリヤ(国王、武士)やシュードラ(庶民)を従わせていた。
 この格差をクシャトリヤ(国王、武士階級)の人々は快く思わなかった。

 なお、このころマウリア朝の前身でるマガタ国ナンダ朝がコーサラ国を制圧した。これによりインド北東部の都市国家群はマガタ国に忠誠を誓うようになる。

仏教の成立

 紀元前5世紀初頭、クシャトリヤであるガウタマ=シッダールダ(尊称ブッダ)は悟りを開いた。バラモン教に代わる宗教、仏教の誕生である。
 仏教は、動物を犠牲に捧げる祭祀を否定した。現在でもこの風習は残っている。肉を使わない精進料理である。その背景には、バラモン教の牛をささげる儀式である。当時の牛は、田畑を耕すために必要不可欠なものであった。そのため、牛をささげる祭祀はかなりの経済的負担を強いた。そのため、動物を大切にする仏教は多くの人に受け入れられた。現在、インドは仏教ではなくヒンドゥー教を信仰している人が多いが牛は神聖なものとする考え方は引き継がれ、現在でも牛肉を食べることはタブーとされている。
 また、仏教はバラモンを中心とした階級制度を否定した。多くのクシャトリヤ(国王、武士)は仏教を信仰し、バラモンを中心とした階級制度を打破しようとした。

仏教以外の信仰宗教

 このような新興宗教は、他にもあった。ジャイナ教ウパニシャッド哲学などである。また、民間信仰としてシヴァ神を信仰するヒンドゥー教が形成された。

 ジャイナ教は、ヴァルダマーナが開いた宗教である。バラモン教を否定し、苦行と不殺生(生き物を殺さない)ことを強調した。

 ウバニシャット哲学とは、バラモン教の一般である。祭祀至上主義を否定し、内面の思索を重視した。

 

紀元前5世紀とは

 

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