10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

紀元前4世紀の中国 春秋戦国の戦乱期 戦国七雄の富国強兵と諸子百家の台頭

4世紀の中国は、周王朝は存在していたが有名無実化していた。この時代は秦など戦国七雄による戦乱期であった。各国は諸子百家など実力者を採用し、経済を活性化して軍事力強化を図った。この政策を富国強兵という。

 

 このころから鉄製農具が使用され、収穫量がふえ余剰農産物が発生した。余剰農産物の登場により、商人が登場し貨幣経済が発達した。
 それまでの国家は、城とその周辺のみを統治する都市国家であった。しかし、戦国時代になると複数の都市国家を支配するようになる。これを領土国家という。このころになると都市の人口は30万人規模になった。

この時代の有力国は7つあり、戦国の七雄と呼ばれた。戦国の七雄は以下の国である。
 晋(首都 洛邑周辺)から分裂した趙、魏、韓
  ちなみに魏は、この後2回登場するがいずれも華北である。
    紀元後220年 三国時代 曹操の子曹丕が建国した魏
    紀元後384年 南北朝時代 鮮卑族が建国、華北を統一し北朝を建てる。
 西方で異民族の最前線で戦った
 戦国時代長江上流部にあり、この時代になると下流部にあった呉、越を滅ぼし、南方長江全域を支配した
  ※ 香港などの南シナ海沿岸が中国の支配下になるのは、紀元前3世紀末の秦の中国統一後である。
  ※ 秦を滅ぼした項羽の出身地も楚である。
  ※ 19世紀後半、このあたりがイギリスの勢力圏になる。
 黄河下流域、山東半島周辺の
  ※ 山東半島は、1880年代の中国分割でドイツ勢力圏になる。
 斉の北、現在の北京周辺の であった。

 当時、周王朝が存在していたが、このころになるとほぼ権威はなくなっていた。人材も、周王朝の階級が崩壊し実力主義で出世できる世の中にかわった。これら有能な人材が諸子百家である。また、各諸侯は、軍事力維持拡大のため富国強兵に努めた。治水工事や鉄製農具の普及による農産物の生産拡大。また、各国は独自の貨幣を採用し、商人を集めようとした。

 この中で、最有力国は、西方にあったであった。秦は、この時代にかつての周の都咸陽<今の西安>に都を移した。政治的には、法家の官僚を重んじた。法家の思想は端的にいえば、法を破ったものには厳罰をあたえよという思想であった。この思想がのちに秦王朝を滅亡させることになる。また、中央アジアの商人と交流があり商業も普及した。貨幣も当時広く使われていた円形通貨を使用した。
 この時代、北方の騎馬民族との侵入に苦しんだ。そのため、築かれたのがのちの万里の長城である。なお、これを築いたのは北方に面している秦、趙、燕の3国である。