10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

3世紀のインド クシャーナ朝、ササン朝ペルシアによって滅亡

 3世紀、日本は弥生時代である。卑弥呼三国時代魏王朝に使いを送ったころである。

 このころインドは、古代インド四王朝の時代である。2番目の王朝クシャーナ朝が滅亡したのがこのころである。

 

前回までの復習 グプタ朝

 現在、古代インド四王朝時代を見ている。前回まで、3番目の王朝グプタ朝を見ていた。入試等では、古代四王朝の地がが問われるのでよく復習してください。

 今回から、2番目の王朝、クシャーナ朝を見ていきます。

2番目の王朝 クシャーナ朝とは

 クシャーナ朝は、紀元後1世紀に成立したイラン系の国家です。そのため、他の三王朝と異なり、拠点はインド北西部(インダス川流域)になります。クシャーナ朝はもともと中央アジアの国家です。シルクロードを押さえ、交易で栄えた国である。
 2世紀のカニシカ王の時代に最盛期を迎える。

クシャーナ朝を支えた、ローマ帝国漢王朝

 クシャーナ朝を支えたのは東西の2大王朝であった。西のローマ帝国と東の漢王朝である。しかし、この2つの王朝は3世紀に入ると急速に衰える。

 漢王朝は、2世紀末の黄巾の乱で滅亡をした。三国志の大戦乱期に入りローマ帝国やイラン(ペルシア)の高級品を求める余裕は亡くなっていた。

 一方、ローマ帝国五賢帝の時代が終わり、軍人皇帝時代に入った。この頃になるとゲルマン人の侵入などでローマ帝国は大いに乱れた。

 ローマ帝国の衰退と漢王朝の滅亡によって、東西交易は大いに減少した。これによりクシャーナ朝は大いに衰退した。

クシャーナ朝ササン朝ペルシアのシャープール1世に服従

 この頃、イラン(ペルシア)では、パルティアが滅亡。2世紀初頭にササン朝ペルシアが成立した。

 2世紀半ば、最初の絶頂期を迎える。2代皇帝シャープール1世の時代である。この時代、ローマ帝国に連勝し、ローマ皇帝を捕虜にしたこともあった。

 シャープール1世は、東にも侵攻した。クシャーナ朝は、シャープール1世の侵攻に耐えられず滅亡した。

 このあと、インド北西部(インダス川流域)では、ギリシャ系のバクトリアクシャーナ朝支配下にあったサカ族が勢力を持つようになる。

この頃の中国は

 

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 このころのローマ帝国

 

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この頃のササン朝ペルシアは

 

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