3世紀 弥生時代 卑弥呼と三国志
3世紀、東アジアでは漢王朝が滅亡。三国志の時代へ入った。一方、ローマ帝国も五賢帝の黄金期がおわり、軍人皇帝の時代に入った。これによりローマ帝国は衰退した。 当時のイングランドは、ローマ帝国の支配下にあった。しかし、軍事皇帝時代に入ると、ロー…
3世紀、日本は弥生時代である。卑弥呼が三国時代の魏王朝に使いを送ったころである。 このころインドは、古代インド四王朝の時代である。2番目の王朝クシャーナ朝が滅亡したのがこのころである。
3世紀、日本は卑弥呼の時代であった。そのころ、ペルシアではパルティアが滅び、ササン朝ペルシアが成立。ササン朝は、シャープール1世のころ全盛期を迎える。ローマ皇帝を捕虜にする軍事力を持った。
3世紀の日本は、邪馬台国の卑弥呼が活躍した時代。中国はまさに三国志の戦乱期にあった。 このころのローマ帝国も、漢王朝(中国)同様、巨大帝国の崩壊期を迎えていた。
3世紀は、三国志の時代である。劉備や関羽、諸葛亮孔明が活躍したのがこの時代である。しかし、世界史的に重要なのは、曹操の画期的政策である。九品中正は6世紀聖徳太子の官位十二階につながる。なお、この時代に邪馬台国の卑弥呼は魏王朝に使いを送ってい…
大昔の日本は、ナウマン象などの獣を狩ったり、海で貝類を捕ったり、木の実を採ったりして生活をしていた。紀元前5世紀中頃、大陸から稲作技術が伝来すると、各地に集落ができた。この集落は次第に大きくなり「くに」になった。稲作により、食糧の保管ができ…