10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

3世紀 弥生時代 卑弥呼と三国志

3世紀のイギリス 軍人皇帝時代で、ローマの影響は薄くなる。

3世紀、東アジアでは漢王朝が滅亡。三国志の時代へ入った。一方、ローマ帝国も五賢帝の黄金期がおわり、軍人皇帝の時代に入った。これによりローマ帝国は衰退した。 当時のイングランドは、ローマ帝国の支配下にあった。しかし、軍事皇帝時代に入ると、ロー…

3世紀のインド クシャーナ朝、ササン朝ペルシアによって滅亡

3世紀、日本は弥生時代である。卑弥呼が三国時代の魏王朝に使いを送ったころである。 このころインドは、古代インド四王朝の時代である。2番目の王朝クシャーナ朝が滅亡したのがこのころである。

3世紀のペルシア ササン朝 ササン朝建国 と シャープール1世

3世紀、日本は卑弥呼の時代であった。そのころ、ペルシアではパルティアが滅び、ササン朝ペルシアが成立。ササン朝は、シャープール1世のころ全盛期を迎える。ローマ皇帝を捕虜にする軍事力を持った。

3世紀のフランス ローマ帝国 3世紀の危機、軍人皇帝時代

3世紀の日本は、邪馬台国の卑弥呼が活躍した時代。中国はまさに三国志の戦乱期にあった。 このころのローマ帝国も、漢王朝(中国)同様、巨大帝国の崩壊期を迎えていた。

3世紀の中国 魏晋南北朝時代 三国志の時代、曹操が作った政治システム

3世紀は、三国志の時代である。劉備や関羽、諸葛亮孔明が活躍したのがこの時代である。しかし、世界史的に重要なのは、曹操の画期的政策である。九品中正は6世紀聖徳太子の官位十二階につながる。なお、この時代に邪馬台国の卑弥呼は魏王朝に使いを送ってい…

3世紀以前の日本 日本の成り立ち

大昔の日本は、ナウマン象などの獣を狩ったり、海で貝類を捕ったり、木の実を採ったりして生活をしていた。紀元前5世紀中頃、大陸から稲作技術が伝来すると、各地に集落ができた。この集落は次第に大きくなり「くに」になった。稲作により、食糧の保管ができ…