10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

3世紀のフランス ローマ帝国 3世紀の危機、軍人皇帝時代

 3世紀の日本は、邪馬台国卑弥呼が活躍した時代。中国はまさに三国志の戦乱期にあった。

 このころのローマ帝国も、漢王朝(中国)同様、巨大帝国の崩壊期を迎えていた。

 

 五賢帝時代終焉後のローマ帝国

五賢帝時代が終わると、ゲルマン民族の侵入やパルティアとの戦いが激化。ローマ帝国は衰退期に入る。

11年 カラカラ帝、ローマ市民権全帝国(すべての属州)に拡大
16年 カラカラ帝、大浴場を建設
20年 ゲルマン民族ゴート族、東西に分裂
20年 ゲルマン民族のローマ侵入活発化
24年 ササン朝(今のイラン)建国

人皇帝時代とササン朝ペルシア

 35年以降、軍人出身の皇帝が続く軍人皇帝時代に入った。このころになると、皇帝はただのお飾りに過ぎず、軍隊の意に反すれば即座に退位させられた。そのため短命の皇帝が多かった。

 このころ、ゲルマン民族の侵入が激しくなった。バルカン方面からはゴート族が、フランス方面には、アングロ=サクソン族やフランク族が侵入してきた。

 一方、東には巨大帝国ササン朝ペルシアがあり、激しい抗争が続いていた。皇帝が捕虜になる大敗を喫したこともあった。

35年 軍人皇帝時代
53年 ゲルマン民族ゴート族、ドナウ川にを渡河、ギリシア・トルコへ侵入
57年 ゲルマン民族フランク族ライン川を渡河、ローマ朝ガリアに侵入
60年 ササン朝皇帝シャープール1世、ローマ皇帝を捕虜にする。
63年 ゲルマン民族フランク族ピレネー山脈を越えスペインに侵入。

ディオクレティアヌス帝の専制政治

84年、ディオクレティアヌス帝即位。彼は、ローマ帝国の改革を行い、皇帝権力を高めようとした。

専制君主制とキリスト教の迫害

ディオクレティアヌス帝が最初に行ったことは、これまでの政治の在り方を変え、ササン朝ペルシアと同じ専制君主制へ移行した。

そのため、国民に皇帝崇拝を強要。キリスト教徒はこれに反発。大規模なキリスト教迫害が行われた。

帝国四分割

ディオクレティアヌス帝は、広大になったローマ帝国を四分割。それぞれに皇帝を置いた。ディオクレティアヌス帝自身は、ローマを離れ穀倉地帯エジプトに近いトルコに移った。
     

次回予告

「2世紀のフランス ローマ帝国 最盛期の五賢帝時代」

このころ日本 

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このころ中国 

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