このころ、ペルシアは遊牧ペルシア人のパルティアが統治していた。隣国のローマ帝国は五賢帝の全盛期、たびたびローマ帝国の侵攻を受けた。
これにより、パルティアは衰退期にはいり、3世紀に農耕ペルシア人のササン朝に滅ぼされる。
2大帝国の時代
2世紀、世界は東西に2大帝国が存在していた。中国の漢王朝とヨーロッパのローマ帝国である。
ユーラシア大陸はこの2大帝国の交易路として大きく栄えた。
一方、パルティアは東西の帝国が絶頂期を迎え衰退傾向に入っていた。西のローマ帝国は、五賢帝の絶頂期である。一方、東のクシャーナ朝(インド)はカニシカ王の全盛期であった。
ローマ帝国 五賢帝の時代
漢王朝 光武帝が亡くなり、衰退期にはいる
クシャーナ朝(インド) カニシカ王の全盛期
ローマ帝国の遠征
ローマ帝国とパルティアは、メソポタミア(イラク)とカフカス地方(黒海とカスピ海の間)をめぐりたびたび戦争を行った。この戦争がパルティアを疲弊させ衰退させた。
次回予告
「1世紀のペルシア パルティア 」
このころローマ帝国は
このころの東アジア(漢王朝)は