1世紀のイギリス ローマか帝国に支配されるブリトン人
1世紀、東アジアでは漢王朝が復興し後漢の時代に入った。一方でローマ帝国ではキリスト教が成立。ネロ帝はキリスト教を迫害した。
前回の復習 ハドリアヌスの壁
2世紀、イギリスはローマ帝国の支配下にあった。当時のローマ帝国は五賢帝時代の全盛期である。この頃にイギリスにもローマ風建築物が数多く建設された。
ローマ帝国、イングランドを征服
イングランドは、ケルト人の一派、ブリトン人が生活していた。紀元前1世紀、共和政ローマのカエサルがイングランド(ブリタニア)へ侵攻したが失敗した。(参照、次回紀元前1世紀のギリス)
1世紀、再びローマ帝国は、再びイングランドへ侵攻。ついにイングランドを支配することに成功した。この地は、ブリタニアとよばれ、属州とされた。
属州とは、ローマ帝国(または共和政ローマ)の支配する異民族が生活する地域でである。属州には、ローマ帝国から総督が派遣される。総統とは、その地域の地方長官のようなもである。総督は属州から「十分の一税」を徴収することが仕事である。総督は部下として徴税請負人を雇い頃を実行した。しかし、実際ほ十分の一税に上乗せをして属州から徴収。差額が徴税請負人と総督の懐に入った。また、属州は、奴隷と安価な穀物をローマへもたらした。
話をイングランドへ戻す。ローマ帝国はイングランドの拠点をイングランド南東部、テムズ川のほとりに置いた。この場所をロンドニウムとなづけた。のちのロンドンである。
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この頃の東アジアは
このころのローマ帝国は