紀元後8年、外戚がクーデターを行うが、あまりにも実態に合わない急激な政治改革を行ったが失敗に終わる。この時代に中国の人口は半減し、2千万人となった。
紀元後25年、このクーデターを治めた光武帝が即位する。都は、かつての周王朝の都洛陽に移した。それまで都は長安(BC3世紀の秦王朝期~)であった。
光武帝は、西方の調査隊を派遣。地中海沿岸のシリア(パルティア)までいく。
また、日本(倭)の奴国が使者をつかわしたのもこの時代である。
紀元後57年、光武帝がなくなると、幼少の皇帝の時代が続く。そのため、皇帝の側近が事実上の政治を行う。郷挙里選で採用された地方の豪族と皇帝側近の役人(宦官)、后の一族(外戚)の間で権力闘争が続き、漢王朝の衰退がはじまる。
このころ、仏教が中国に伝わる。