10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

5世紀のイギリス ゲルマン人がやってきた

 5世紀、日本は古墳時代。中国の南朝朝貢を開始したころである。

 

 

前回の復習 アングロ=サクソン七王国の成立

 6世紀のイングランドでは、アングロ=サクソン七王国が成立。このころから、イングランドでのキリスト教の布教活動が始まった。

5世紀のヨーロッパ 

アッティラ大王とゲルマン民族の大移動

 5世紀、ヨーロッパにアジア系騎馬民族フン族が侵入した。フン族は、紀元前1世紀に漢王朝武帝に撃退された匈奴の残党の一つといわれている。フン族が拠点としたのは現在のハンガリーのあたりであった。この頃、フン族に偉大なリーダーが現れた。これがアッティラ大王である。アッティラ大王は、ヨーロッパ各地へ遠征した。しかし、アッティラ大王が亡くなるとフン族はいなくなった。

 フン族の侵入で土地を追われたのがゲルマン民族である。ゲルマン民族西ローマ帝国内へ侵入した。これにより、西ゴート王国などのゲルマン国家が多数成立した。これらの国々は、6世紀、東ローマ帝国のユスティアヌス帝によって滅ぼされる。

 このころのローマ帝国はどのような状況であったのだろうか?。4世紀末、ローマ帝国は東西に分裂。東ローマ帝国は15世紀まで存続した。しかし、西ローマ帝国ゲルマン民族の侵入を受けて5世紀末に滅亡した。

レオ1世、ローマ教皇と呼ばれ始める

 5世紀半ば、ローマ教会のトップにレオ1世がついた。

 ローマ教会は、ペテロが創設した聖ピエトロ教会のことであり、現在バチカン市国の中にある。ペテロは、イエス十二使徒のひとりである。5世紀のキリスト教は五本山体制が成立していた。ローマ教会の他、東ローマ帝国の首都にあるコンスタンチノーブル教会(現在のトルコ)、シリアのアンティオキア教会、イスラエルのイェルサルム教会、エジプトのアレキサンドリア教会があった。

 レオ1世は、東ローマ皇帝が主催した公会議で単性説を否定。三位一体説の正統性を改めて主張した。

 このころローマは、多くの異民族の侵攻を受けた。フン族アッティラ大王。ヴァンダル人(北アフリカに移住したゲルマン民族)などである。レオ1世は、これらを撃退した。そのため、レオ1世は、ローマの救世主としてローマ教皇と呼ばれるようになった。この慣習は現在も続いており、現在もローマ教会のトップはローマ教皇と呼ばれる。

 

ゲルマン人がやってきた

ローマ帝国イングランドを放棄

 4世紀末、ローマ帝国は東西に分裂した。西ローマ帝国ゲルマン民族との戦いで疲弊していた。そのため、5世紀初頭にはローマ帝国ブリタニアイングランド)を放棄した。これにより、イングランド無政府状態となった。

アングロ=サクソン人の移住

 イングランドの語源、アングル人の土地
 アングロ=サクソン人とはアングロ族のザクセン人という意味である。ザクセン人の中には、大陸にとどまったものもいた。ザクセン人は8世紀、フランク王国カール大帝によって征服される。しかし、8世紀後半にフランク王国が分裂すると東フランクの有力諸侯になる。オットー1世はザクセンを開いた。

アングロ=サクソン人が来る前のイギリス

 アングロ=サクソン人が侵入する前、イングランドブリタニアと呼ばれていた。原住民はブリトン人と呼ばれていた。ブリトン人は東からきたアングロ=サクソン人の信仰を受けると西へ逃れた。こうして、イギリス南西部にできた国がウェールズである。一方、アングロ=サクソン人が征服したエリア(イギリス南東部)は、イングランドとなった。
 この戦乱期を描いたのが「アーサー王物語」である。この戦乱期にヨーロッパ大陸へ亡命したものも多かった。フランス北西部のブルターニュである。

 アイルランドは、原住民のケルト人が生活していた。この地域はアングロ=サクソン人の侵攻を受けなかった。

 イングランドの北部のスコットランドも、アングロ=サクソン人の侵攻を受けなかった。当時この地域に住んでいた人々はピクト人と呼ばれた。このころから、アイルランドからスコットランドへ移住が進んだ。移住したアイルランド人はスコットと呼ばれた。

先住民の間でキリスト教の布教が始まる

 このころ、先住民のケルト人社会ではキリスト教の布教が始まった。これにより、スコットランドウェールズアイルランドはそれぞれの教会を中心としたキリスト教社会が構築された。とくにアイルランドキリスト教徒は修道院中心の教会組織を形成。これにより、イングランドアイルランドの間で宗教的対立がしばしばおこった。

この頃の日本は

 

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 このころのローマは

 

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