4世紀のロシア ビザンツ帝国 コンスタンティノープル遷都
4世紀、日本は古墳時代である。
このころの東欧ビザンツ帝国は、ローマ帝国であった。4世紀、ローマ帝国はコンスタンティノープルに遷都。そして、東西に分裂した。今回は、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルの登場とビザンツ帝国の前身東ローマ帝国の成立を見ていきます。
なお、今回でロシア編は最終回です。次回からイギリス史を見ていきます。
コンスタンチノーブル帝、コンスタンティノープル遷都
12年、コンスタティヌス帝は即位した。翌13年、今まで迫害してきてキリスト教を公認した。25年には、ニケーア公会議(キリスト教の会議)をひらき、アタナシウス派を正統とし、アリウス派を異端とした。アリウス派は、ローマ市民への布教ができなくなり、東ゴード族やランゴバルド族などのゲルマン民族に布教するようになる。30年、首都をイタリアのローマから小アジア(トルコ)のコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に遷都した。当時、シリアやエジプトなどの東部のほうが経済的に豊かであった。32年、コロヌスの移動の自由を奪った。これにより荘園制が確立された。37年、コンスタティヌス帝は亡くなった。
ユリアヌス帝、キリスト教の最後の迫害
61年に即位したユリアヌス帝は、キリスト教を再び禁止した。
第一次民族大移動、アジア騎馬民族の襲撃
70年代、アジアの騎馬民族フン族が東欧に侵入した。東欧で生活してきたゲルマン民族は、フン族に東欧を追われ、ローマ帝国領内に侵入するようになった。ゲルマン民族の一派西ゴード族は、ローマ帝国領のバルカン半島に侵入した。
デオドシウス帝、ローマを東西に分裂させる。
78年、バルカン半島(西ローマ帝国)のゲルマン民族西ゴード族が反乱を起こした。79年、この反乱の最中、デオドシウス帝は即位した。81年、キリスト教徒を味方にするため、キリスト教を国教化した。すなわち、キリスト教の信仰を強制したのである。これにより、古代オリンピックは開かれなくなった。82年、ローマ帝国は西ゴード族と和平を締結する。95年、デオドシウス帝が亡くなるとローマ帝国は東西に分裂した。
これでロシア編は終了です。これ以前のローマ帝国の話は、以前書いたフランス史編をご覧ください。次回からイギリス史編をお送りいたします。
このころ日本は
これ以前のローマ帝国は
隣国、ササン朝は