10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

4世紀のロシア ビザンツ帝国 コンスタンティノープル遷都

 4世紀、日本は古墳時代である。
 このころの東欧ビザンツ帝国は、ローマ帝国であった。4世紀、ローマ帝国コンスタンティノープルに遷都。そして、東西に分裂した。今回は、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルの登場とビザンツ帝国の前身東ローマ帝国の成立を見ていきます。

 なお、今回でロシア編は最終回です。次回からイギリス史を見ていきます。

 

コンスタンチノーブル帝、コンスタンティノープル遷都

 12年、コンスタティヌス帝は即位した。翌13年、今まで迫害してきてキリスト教を公認した。25年には、ニケーア公会議キリスト教の会議)をひらき、アタナシウス派を正統とし、アリウス派を異端とした。アリウス派は、ローマ市民への布教ができなくなり、東ゴード族やランゴバルド族などのゲルマン民族に布教するようになる。30年、首都をイタリアのローマから小アジア(トルコ)のコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に遷都した。当時、シリアやエジプトなどの東部のほうが経済的に豊かであった。32年、コロヌスの移動の自由を奪った。これにより荘園制が確立された。37年、コンスタティヌス帝は亡くなった。

ユリアヌス帝、キリスト教の最後の迫害 

 61年に即位したユリアヌス帝は、キリスト教を再び禁止した。

第一次民族大移動、アジア騎馬民族の襲撃

 70年代、アジアの騎馬民族フン族が東欧に侵入した。東欧で生活してきたゲルマン民族は、フン族に東欧を追われ、ローマ帝国領内に侵入するようになった。ゲルマン民族の一派西ゴード族は、ローマ帝国領のバルカン半島に侵入した。

デオドシウス帝、ローマを東西に分裂させる。

 78年、バルカン半島西ローマ帝国)のゲルマン民族西ゴード族が反乱を起こした。79年、この反乱の最中、デオドシウス帝は即位した。81年、キリスト教徒を味方にするため、キリスト教を国教化した。すなわち、キリスト教の信仰を強制したのである。これにより、古代オリンピックは開かれなくなった。82年、ローマ帝国は西ゴード族と和平を締結する。95年、デオドシウス帝が亡くなるとローマ帝国は東西に分裂した。

 

 これでロシア編は終了です。これ以前のローマ帝国の話は、以前書いたフランス史編をご覧ください。次回からイギリス史編をお送りいたします。

このころ日本は

 

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 これ以前のローマ帝国

 

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 隣国、ササン朝

 

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