日本各地で古墳が作られている。この時代になると古墳は巨大化し、世界最大級の王墓、大阪府の大仙古墳もこの時代に作られた。この時代には天皇を中心としたヤマト政権が成立している。ヤマト政権は、血縁関係で作られたグループの集合体であった。その血縁関係のグループを氏(うじ)という。現在の名字の起源である。当時の天皇は、大王(おおきみ)と呼ばれ、絶対的な権力はまだなく、ヤマト政権は地方豪族の連合政権であった。当時はまだ人事制度がないため、人事は世襲で行われていた。(日本で人事評価制度が7世紀聖徳太子時代の官位十二階からである。)
当時の中国は、南北に分裂していた。このころから日本は、朝貢を再開し、南朝に使いを送った。当時の北朝は、戦乱が続いていたほか高句麗があった関係で従来の朝鮮半島経由のルートで中国へ行くことができず、東シナ海を海路で渡っていた。