10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

14世紀の日本 南北朝時代 太平記に描かれた鎌倉幕府の滅亡と南北朝の動乱

 14世紀は、鎌倉末期と南北朝の時代である。太平記(ちなみに書かれたのは15世紀初頭)の舞台もこの時代である。
 当時の武士は、困窮していた。モンゴル撃退に伴う戦費の負担と分割相続による収入の減少である。
 武士の不平をみて、京都の後醍醐天皇は、再び鎌倉幕府の追討令を出した。そして、新田義貞足利尊氏ら鎌倉武士が参加し、鎌倉幕府は滅亡した。後醍醐天皇は、公家(京都の貴族)向けの政治を行い、武士を軽視した。京都側についた武士は反発した。そのリーダー格になったのが足利尊氏である。足利尊氏は、後醍醐天皇を京都から追放し、新しい天皇を建て、室町幕府を樹立した。(北朝)。一方で、後醍醐天皇は、奈良の吉野に逃れて南朝を建てた。これが南北朝の動乱である。南北朝の動乱はそれぞれの武家の相続争いが絡んだため、長期化した。室町幕府は、有力武士を味方につけるため守護の権限を強化した。
 一方で、困窮した武士の中には海賊になるものもいた。彼らは、東シナ海を中心に活動し、倭寇(わこう)とよばれた。当時の東アジアはモンゴルの衰退期で、中国では明が成立し、朝鮮では李氏朝鮮が成立した。
 14世紀末、三代将軍足利義満は、南朝と平和的に合一した。