14世紀、日本は元寇による不況で鎌倉幕府が滅亡。南北朝の戦乱期に入る。
世界的にも、ペストが流行、暗黒の中世を象徴する世紀であった。
14世紀のモンゴルは、分裂・衰退傾向にあった。
1370年、ティムールが登場。中東、ペルシア、中央アジアは再統一された。
ハイドゥの乱とモンゴルの分裂
ハイドゥ オゴタイ家の当主、ハイドゥの乱で死去
オゴタイ=ハンの孫、
オゴタイ家はチンギスハンの三男オゴタイを祖とする一族
元々ハンを出す家柄であったが、13世紀後半からトゥルイ家に変った。
ハイドゥは中央アジアのチャガタイ=ハン国を乗っ取り当主を務めた。
94年 トゥルイ家フビライ=ハン、没
00年 ハイドゥは、元へ侵攻も失敗(ハイドゥの乱)
中央アジア以西の3ハン国は元から独立した。
中央アジアのチャガタイ=ハン国
チンギス=ハンの次男、チャガタイの国
ホラズム遠征の功績で建国
中央アジアを支配
13世紀後半、オゴタイ家のハイドゥに乗っ取られる。
06年、ハイドゥの乱でハイドゥが亡くなり、チャガタイ家が復活
14世紀にはいると
モンゴルや元の影響を受けなくなり現地化がすすむ
→トルコ人化、イスラム教の浸透
40年代 東西に分裂、以後分裂状態が続く
ペルシア・中東のイル=ハン国
トゥルイ家フラグ(フビライの弟)が建国
フラグの中東遠征の功績で建国
ペルシア(アゼルバイジャン)のタブリーズを首都
ペルシア(イラン)、メソポタミア(イラク)、シリア、小アジア(トルコ)を支配
マムルーク朝エジプトの最前線
イラン人の支持を得るため、イスラム教スンニ派を信仰
35年 フラグの血統が途絶える
53年 群雄割拠の時代に入る
ロシアのキプチャク=ハン国
チンギス=ハンの長男ジュチの子、バトゥが建国
東欧遠征の功績で建国
カスピ海の北、サライと都
ロシア(黒海、カスピ海の北)を支配
カフカス地方をめぐり、イル=ハン国と交戦状態
→ マムルーク朝エジプトと同盟
→ イスラム教を信仰
ティムール朝の成立
70年 ティムール朝成立
ティムール建国
チャガタイ=ハン国(モンゴル)の貴族出身
トルコ化し、トルコ語とイラン語が話せた。
分裂状態であったチャガタイ=ハン国統一
80年 ペルシアのイスファハーンを占領
分裂状態にあったイル=ハン国を吸収
ロシアのキプチャク=ハン国へ侵攻
98年 デリー=スルタン朝(インド)のトゥグルリ朝を攻撃
デリーを破壊
多くのインド人職人がサマルカンドへ連行、サマルカンドのモスクを建設
サマルカンドの再建
ソクド人の都
現在、中央アジアのウズベキスタン
→ 世界遺産
紀元前4世紀 ギリシアのアレキサンドロス大王が訪れる
7世紀 中国唐王朝でソクド商人が活躍
8世紀 トルコ系民族が登場
13世紀 チンギス=ハンが破壊
14世紀は変革の世紀
14世紀は暗黒の世紀であると同時に王朝交代が相次いだ。バブル崩壊が55年体制を崩壊させたように景気の悪化はいつの世においても国の滅亡の要因であるようだ。
日本 : 鎌倉幕府滅亡 → 南北朝の動乱 → 室町幕府成立(足利義満の南北朝統一)
このころの日本は
このころのフランスは
このころの中国は