紀元前3世紀のペルシアは、ギリシャ人国家セレウコス朝シリアの支配下にあった。
セレウコス朝シリア
紀元前4世紀末、アレキサンダー大王が亡くなるとマケドニアは分裂した。(次回、紀元前4世紀で紹介)ペルシアは、その中の1つ、セレウコス朝シリアの支配下に入った。
首都は、メソポタミア(イラク)のセレウキアを建設した。しかし、それまでの都バビロンも健在であり、事実上首都が2つある状態であった。
支配地域は、小アジア(トルコ)~シリア~メソポタミア(イラク)~ペルシア(イラン)~中央アジアまでの広範囲を支配した。シリアで、プトレマイオス朝ペルシアと係争。また、インドのマウリア朝とも交戦した。
55年 バクトリア、セレウコス朝シリアから独立
バクトリア(中央アジア)の総督(地方長官)が独立を宣言
セレウコス朝シリア軍は、バクトリアの都を包囲。
しかし、2年にわたる籠城戦の結果、セレウコス朝シリアと和睦
独立を達成した。
48年 パルティア、セレウコス朝シリアから独立
遊牧ペルシア人がセレウコス朝シリアから独立
遊牧ペルシア人は、もともと、中央アジアのバクトリアで生活していたが
バクトリア王国が成立するとその地を追われ、イラン高原に定住した。
これにより、ペルシアはギリシア人の支配から独立を果たし再びペルシア人国家を回復した。
次回予告
「紀元前4世紀のペルシア セレウコス朝シリア アレキサンダー大王の東方遠征」
このころ、東アジアは
このころ、ヨーロッパは