10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1840年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ1世 48年革命でロシアの地位が上がる

 1840年代、日本は寛政の改革が行われ、アヘン戦争で動揺していた。
 同じころ、ヨーロッパでは48年の自由主義革命の真っただ中にあった。
 このころ、ロシアの課題は不凍港の獲得であった。そのため、オスマン帝国のダーダネルス=ボスフォラス海峡の自由航行権は重要であった。

 

 

40年 ロンドン4か国条約(第2次エジプト=トルコ講和条約

 第2次エジプト=トルコ戦争の講和条約
 四国同盟で議論 → イギリス、ロシア、オーストリアプロイセン(ドイツ)

  シリア → オスマン帝国に返還
  エジプトの世襲 → エジプト・スーダン世襲権は認める。

 なぜ、フランスは議論に参加できなかったのか

  議論の主導権 → イギリス
  インド帝国への航路にあるエジプトの権力拡大は控えたい。
  そのため、エジプトよりのフランスの参加を認めなかった。

41年 五か国海峡条約(ダーダネルス=ボスフォラス海峡)

 オスマン帝国ロシア帝国に認めていた
  ダーダネルス=ボスフォラス海峡の自由航行権を破棄
 ダーダネルス=ボスフォラス海峡の中立化
 ダーダネルス=ボスフォラス海峡の外国軍艦の航行禁止

 

 3か国の思惑

  ロシア

   黒海からダーダネルス=ボスフォラス海峡を越えて冬でも貿易を行いたい。
   そのため、オスマン帝国と仲良くしている。

  フランス

   対岸のアルジェリアの植民地化が進行中
   隣国、エジプト(オスマン帝国から独立したばかり)の協力が重要

  イギリス

   インド帝国との航路を確保したい。
   そのため、東地中海の制海権をとりたい。
   

  

46年 ポーランド反乱鎮圧

 1815年のウィーン議定書でロシア皇帝ポーランド王を兼任
 そのポーランド自治権をめぐり、各地で反乱がおこる。


48年革命でニコライ1世の地位が上がる

 48年革命は、東欧の力関係を大きく変えた。それまで強国であったオーストリア(ハプスブルグ家)は、三月革命で衰退。さらに、ハンガリーチェコベーメン)の民族運動はそれに追い打ちをかけた。
 代わりに台頭したのがプロイセン(のちのドイツ)ロシアである。特にロシアは、ハンガリーポーランド民族運動を武力鎮圧し、名声を高めた。

 48年02月 フランス、二月革命七月王政が倒れ、第二共和制へ
 48年03月 オーストリア、ウィーン三月革命メッテルニヒが亡命
       → オーストリア支配下にあった
         ベーメンチェコ)、ハンガリー独立運動
 48年03月 プロイセン、ベルリン三月革命
       → フランクフルト国民議会

48年革命は何をもたらしたか。

 社会主義勢力が台頭
 ブルジョワ(資本家)が保守化(反革命勢力と妥協)
   → 資本家と政府(軍)が結びつき、帝国主義の原因につながる。

 

 

 

次回予告

1830年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ1世

                                               エジプト=トルコ戦争とショパン

このころ日本は

 

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 48年革命に揺れるフランスは

 

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 アヘン戦争下の中国は

 

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