紀元前5世紀、中国では、孔子など多くの思想家が輩出された。
このころ、ペルシアは、アケメネス朝期であった。当時のアケメネス朝ペルシアは、オリエント(中東)全域を支配する巨大帝国であった。
この時期、ペルシア戦争やペロポネソス戦争などの地中海の争いに巻き込まれ、徐々に疲弊していく。
ダレイオス1世 と ペルシア戦争
00年 ペルシア戦争開戦
背景
当時、アケメネス朝ペルシアの勢力はバルカン半島までに及んでいて、ギリシアのすぐ北のマケドニアまで勢力下に入れていた。
一方、ギリシアは地中海全域に植民都市を作っていた。そして、地中海の制海権をめぐりフェニキア人(シリア)と交易競争を行っていた。アケメネス朝ペルシアは、フェニキア人を支援していた。
勃発
小アジア(トルコ)でのギリシア人の反乱をきっかけに始まる。当時、小アジアはアケメネス朝ペルシアの支配下にあった。
86年 クセルクセス1世即位
ダレイオス1世、没
65年 アルタクセルクセス1世 即位
クセルクセス1世没
49年 ペルシア戦争終わる(カリアスの和約)
ギリシア軍に負けるも、ペルシア帝国の勢力は温存された。
ギリシア(アテネ)
ペルシア軍が、エーゲ海に入ることを禁止
小アジア(トルコ)のギリシア人植民地の自治を認める。
ペルシア
ギリシアは、キプロス島、エジプトには不干渉の立場をとる
ペルシア、ペロポネソス戦争に介入
ペルシア戦争で盟主となったアテネと
そのライバル、スパルタとのギリシアのポリス間の戦い。
アケメネス朝ペルシアは、スパルタに資金援助した。
当時、アケメネス朝ペルシアは、いまだ大帝国で巨大の資金を動かしていた。
24年 アクタクセルクセス1世、没
04年 ペロポネソス戦争で、ペルシアが支援するスパルタが勝利
スパルタは、アケメネス朝ペルシアに対して、小アジア(トルコ)の支配権を認めさせた。アケメネス朝ペルシアは、ペルシア戦争でアテネ(ギリシア)に与えていた自治権をこれではく奪した。
01年 王弟キュロスの反乱 → アケメネス朝ペルシアは衰退期へ
次回予告
「紀元前6世紀のペルシア アケメネス朝 」
このころ、東アジアは
このころ、ヨーロッパは