1800年代、江戸時代後期。日本では、徳川家斉の大御所政治で化政文化が花開いていた。また、ヨーロッパはフランス皇帝ナポレオンがヨーロッパを席巻していた。
そのころのペルシアは、内乱が終わり、カジャール朝が統一したばかりであった。
カジャール朝ペルシアは、カフカス地方をめぐりロシア帝国と争うことになる。
カジャール朝の成立
1795年 カジャール朝ペルシア、カフカス地方(ジョージア)へ遠征
ロシア帝国も軍隊を派遣
しかし、エカチェリーナ2世の死で中断
1796年 カジャール朝がペルシアを統一
地方政権が強く、権力基盤は脆弱
初代皇帝 アーガー=モハンマド=シャー
去勢をしていたため子供はいない
カフカス地方をめぐり、ロシアと戦う
1797年 第2代 ファトフ=アリー=シャーが即位
国民の評価は低い
強大なハーレムと100人の子ども
即位直後に、反皇帝派が反乱 → 粛清を繰り返す。
これにより、王権は強化された。
100人の子ども → 地方行政官(太守)任命
皇太子は、カフカス地方アゼルバイジャン(タブリーズ)の太守
タブリーズは、テヘランに次ぐペルシア第二の都市となる。
01年 ロシア帝国、オスマン帝国よりカフカス地方ジョージア獲得
04年 ロシア帝国と戦争が始まる。
カフカス地方をめぐる戦い
アゼルバイジャン(タブリーズ)の活性化
カフカス地方 ジョージアはこれに脅威を感じ、ロシア帝国に接近
この戦争をきっかけにカジャール朝は軍隊の近代化を行う。
ロシア帝国 カジャール朝ペルシアと交戦中
カジャール朝ペルシアと交戦中のロシア帝国は、アレクサンドル1世の時代である。
このころ、ロシアはカジャール朝ペルシアやフランス(ナポレオン)だけでなく、オスマン帝国やスウェーデンとも戦っていた。
01年 アレクサンドル1世即位
ナポレオン戦争真っ只中
04年 カジャール朝ペルシアに開戦 13年まで
05年 アウステルリッツ三帝会戦
フランス(ナポレオン)に敗戦
大陸封鎖令 → 穀物をイギリスに売れなくなる。
06年 オスマン帝国と開戦 12年まで
08年 スウェーデンと開戦 09年まで
09年 スウェーデンに勝利、フィンランドを割譲
イギリス 小ピットとナポレオン
01年 アイルランドを併合
02年 アミアンの和約、フランス(ナポレオン)と講和
04年 小ピット内閣
第3回対仏大同盟
トラファルガー海戦でフランス(ナポレオン)に勝利
06年 小ピット死去
次回予告
「18世紀のペルシア カジャール朝 サファヴィー朝崩壊後の内乱」
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は