1800年代の日本 家斉バブルに沸く江戸とナポレオン戦争の裏でイギリスが暴れる長崎
江戸時代の日本は、緊縮財政の松平定信が引退し、11代将軍家斉の親政が始まる。松平定信時代には制約されていた商業活動が自由になり、景気は良くなり、歌舞伎や浮世絵などに代表される江戸を中心とした町人文化(化政文化)が花開く
このころ、北海道(蝦夷地)の地図作成が始まる。リーダーは伊能忠敬である。樺太島が発見されたのもこの時である。一方でロシアもオホーツク海まで進出していた。当時のロシア皇帝はのちに対ナポレオン戦争で名をあげるアレクサンドル1世で、イランのカジャール朝やトルコのオスマン帝国と断続的に戦争を行っていた。
一方でナポレオン戦争でオランダが一時的にフランスの支配下にはいると、イギリスは長崎でフェートン号事件を起こす。当時の長崎奉行だった長崎県の隣、いまの佐賀県(肥前)にあった鍋島藩は、責任を取り藩主が切腹。この反省をもとに富国強兵を進める。日本で最初に産業革命を行ったのは鍋島藩といっても過言ではなく、日本初の大砲を作ったのも鍋島藩である。当時のイギリスは、本国では、フランスのナポレオンと戦い、一方で南半球のオーストラリアの植民地化を進めていた。18世紀~始まったイギリスの産業革命は、交通の分野まで進出した。蒸気船が登場したのがこの時代である。