1810年代は江戸時代後期に当たる。このころ日本は、徳川家斉の大御所政治で好景気に沸いていた。
そのころ、ヨーロッパではナポレオン戦争が終結。ヨーロッパに平和が訪れた。このころから、イギリスとロシアのアジア進出競争が始まる。17世紀アジア交易を牛耳っていたオランダは、ナポレオン戦争で疲弊。ウィーン会議でアジアの拠点をイギリスに割譲した。
そのころ、ペルシアではロシア帝国に敗戦。カフカス地方を奪われ、カスピ海の航行権を失う。
カジャール朝、ロシアに服従
13年 ロシア帝国に敗戦
ゴレスターン条約
カフカス地方 ジョージアの主権を放棄
カフカス地方 アゼルバイジャンを割譲
カスピ海の航行権を認める
イギリスが仲介 ← ナポレオン戦争でイギリス・ロシアが急接近
このころのロシアは ~ナポレオンを撃退~
アレクサンドル1世とナポレオン戦争
12年 ナポレオンのロシア遠征
イギリスと急接近
12年 オスマン帝国に勝利 ブカレスト条約
13年 ペルシアに勝利 ゴレスターン条約
15年 ナポレオン戦争に勝利 ウィーン会議
ポーランドを獲得
アレクサンドル1世の反動政治
ナポレオン戦争で活躍した青年将校が帰国
イギリス・フランスの立憲政治を知る。 → 自由主義運動
アレクサンドル1世は、青年将校に危機感を覚える。
オーストリア宰相メッテルニヒと親交を深める。
このころのイギリスは、~オランダからアジア利権を得る~
ジョージ3世の時代
産業革命が進行 → 「世界の工場」
12年 トーリー党(保守党)パーシヴァル首相暗殺
→ トーリー党(保守党)リヴァプール伯爵内閣が成立
13年 東インド会社のインド貿易独占権の廃止
14年 アメリカ=イギリス戦争
14年 蒸気機関車発明 → 鉄道の時代へ
15年 ウィーン会議
オランダからインドのスリランカを割譲
アジア進出がここから始まる。
15年 穀物法を制定
穀物の輸入禁止
← 議会の大部分を占める地主のための穀物価格維持政策
← ナポレオン戦争終結により大陸封鎖令が解除
大陸の穀物が流入し穀物価格が大幅下落
穀物価格の高騰
→ 参政権を持たない都市労働者・産業資本家の生活が困窮
→ チャーチスト運動(選挙権拡大運動)へ
19年 蒸気船による初の大西洋横断
次回予告
「1800年代のペルシア カジャール朝 ペルシア統一、ロシアと開戦」
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は