18世紀の日本は、江戸時代の後半(綱吉~家斉)でした。
そのころ、ペルシアは栄光を極めたサファビー朝が滅び戦乱の時代を迎えた。
この戦乱をおさめたのがカジャール朝である。しかし、泰平の世は訪れなかった。北からロシアが南下政策を進めてきたのである。
アフガン人によりサファヴィー朝ペルシアが滅亡
22年 アフガン人がイスファハーンを占領
事実上、サファヴィー朝のペルシアの滅亡
同じころ、ロシア(ピョートル1世)もペルシアへ侵入
25年 ロシア、ピョートル1世病死
29年 トルコ系軍人ナーディル=シャーがイスファハーンを奪還
アフシャール朝、ムガル帝国へ侵入
36年 サファヴィー朝滅亡
ペルシアは分裂状態になる
36年 アフシャール朝成立
ナーディル=シャー(トルコ系軍人)
アフガンを制圧
ムガル帝国(インド)にも侵入(首都デリーで略奪)
41年 ロシア、女帝エリゼヴェータの時代
フランス ポンパドール夫人(ルイ15世)
オーストリア マリア=テレジア と同盟
ザンド朝 700年ぶりのペルシア人国家の成立
47年 国王ナーディル=シャー暗殺
アフシャール朝滅亡 → ペルシアは再び戦乱期へ
47年 アフガン独立、ドゥッラーニー朝成立
51年 ザンド朝ペルシア成立
700年ぶりのペルシア系国家
56年 ロシア、七年戦争
オーストリア、フランスとともにプロイセン(ドイツ)と戦う
61年 ドゥッラーニー朝アフガン、ムガル帝国(インド)に侵入
→ マラーター同盟に勝利
62年 ロシア、ピョートル3世が即位
七年戦争で、プロイセンと単独講和
62年 ロシア、エカチェリーナ2世が即位
73年 ロシア、プガチョフの農民反乱
黒海の北 ウクライナが中心
カジャール朝、ロシアと戦う
79年 ザンド朝初代国王亡くなる
→ カジャール朝(トルコ系)が独立
87年 第二次ロシア=トルコ戦争始まる
92年 第二次ロシア=トルコ戦争終結
96年 カジャール朝、ペルシア統一
96年 ロシア=ペルシア戦争 開戦
次回予告
「17世紀のペルシア サファヴィー朝
アジアの4大帝国と「イスファハーンは世界の半分」」
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は