10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

18世紀の中国 清王朝 康熙帝、雍正帝、乾隆帝 清王朝の黄金期

日本は、江戸時代の中後期にあたる。
中国は、清王朝下にあり、康熙帝から始まる黄金期にあった。その後、22年に雍正帝、35年に乾隆帝が即位。満州人は、明王朝漢民族だけでなく、13世紀に世界を席巻したモンゴル民族も支配下に置いた。当時の皇帝は、独裁的な権力をふるっていた。

 
 清王朝の皇帝は、中華皇帝であるとと同時に、満州人(女真族)やモンゴル人(北方騎馬民族)ら北方民族にとってのハンでもあった。乾隆帝の時代になると、モンゴル系のジュンガルチベット支配下に入れ、現在の中国とほぼ同じ領土となった。27年、ロシアとキャフタ条約を締結。中央アジアの国境を画定させた。満州人は、漢民族、モンゴル民族、チベット民族、ウイグル人支配下に入れたが、漢民族以外は現地の支配者がそのまま統治させた。

 清王朝は、明王朝の政策をそのまま引き継いだ。科挙律令制はそのまま引きつぎ、儒教を重んじた。
 税制は、18世紀初頭、康熙帝の時代、16世紀の明王朝時代に始まった一条鞭法から地丁銀制に変更した。これは、人頭税と土地税の2つになっていたのを、土地税に統一した。
 貿易では、明王朝時代から続いて解禁政策は、康熙帝の時代に解除された。57年、乾隆帝が貿易港を現在の香港に当たる広州一港にしぼり、貿易も特定の商人組合(公行)に管理させた。この体制は1842年アヘン戦争の敗戦時に締結した南京条約時まで続く。
 このころ、ポルトガル系のイエズス会によりキリスト教の布教が認められたていた。日本とは違い、儒学などの従来の宗教を尊重しながら布教活動をしていたため、特に大きな問題とならなかった。しかし、ローマ教皇は、この布教方法を否定した。そのため、24年にキリスト教の布教は禁止された。典礼問題)これは、1860年、アロー戦争敗戦時の北京条約まで続いた。
 また、このころヨーロッパで中国文化ブームがおこる。(シノワズリ
 92年、イギリス使節清王朝自由貿易を要求するも、乾隆帝は認めなかった。
 18世紀を通じて清王朝は国土、人口ともに大きく増加した。人口は1億数千万から3億人に増加した。
 95年乾隆帝が退位されると、農民の貧困化で2世紀三国時代の蜀に当たる中国内陸部の四川省宗教反乱が始まる。宗教を指導したのは、14世紀半ばに紅巾の乱で元王朝衰退のきっかけを作った仏教系宗教結社白蓮教である。(白蓮教徒の乱)。18世紀白蓮教は、邪教として弾圧されていた。

 

そのころ日本は

 

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 その後の中国は

 

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