10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

18世紀のフランス ブルボン朝 太陽王ルイ14世の全盛期からフランス革命前夜まで

 18世紀のフランスは、太陽王ルイ14世の全盛期からフランス革命までのブルボン朝崩壊の時期である。その崩壊の要因は度重なる戦争である。フランスは大陸で戦争を遂行しながら、北アメリカとインドでイギリスと戦争を行っていた。
 18世紀のフランスを主要な戦争を軸に見ていこうと思う。

 

 

18世紀のフランスが参加した主な戦争

  1. スペイン継承戦争(1701~1713)
  2. オーストリア継承戦争(1740~1748)
  3. 七年戦争(1756~1763)
  4. アメリカ独立戦争(1775~1783)
  5. フランス革命(1789~)→ 一昨日のブログを参照

スペイン継承戦争

(原因) ルイ14世が自分の孫をスペイン国王にしようとした。

 当時のフランスは、太陽王ルイ14世絶対王政期(明後日のブログを紹介)である。ルイ14世は、スペイン=ハプスブルク家のフェリペ4世の娘マリ=テレーズを后に迎えていた。1700年、ルイ14世の義理の兄カルロス5世が亡くなると、スペイン=ハプスブルク家は断絶した。ルイ14世は自分の孫(のちのフェリペ5世)をスペイン国王にしようとした。しかし、同じくフェリペ4世の娘を后に迎えていたオーストリアハプスブルク家がこれに抗議。ここに30年戦争のリベンジマッチ、スペイン継承戦争が始まった。

オーストリアを支援した国

 イギリス、オランダ → フランスと植民地獲得競争中
 プロイセンオーストリアが国王にすることを条件に支援
         01年、王国に昇格

(並行して行われた戦争) ロシアが台頭する北方戦争

 アン女王戦争
  北アメリカでのイギリスとフランスの植民地戦争 第2戦
 北方戦争
  ロシア(ピョートル大帝*1)とスウェーデンバルト海制海権をめぐる戦い。
        → ロシアが大国になるきっかけの戦い

(結果) オーストリアが勝つも、スペイン=ブルボン朝は成立

 13年、イギリス・オランダなどとユトレヒト条約、翌14年オーストリアハプスブルク家神聖ローマ皇帝)とラシュタット条約を締結。

 スペイン → フェリペ5世が即位(スペイン=ブルボン朝
        地中海の入り口 ジブラルタル、ミノルカ島をイギリスへ割譲
      

 フランス → 後のカナダの一部をイギリスに割譲
        戦争中にルイ14世が亡くなり、ひ孫のルイ15世が即位
        → フェリペ5世のフランス国王とスペイン国王の兼任を認めない。

 イギリス → スペインから以下を獲得
        ジブラルタル(現在もイギリス領)
        ミノルカ島(フランス革命後のウィーン条約でスペインに返還)
       フランスからカナダ東岸を獲得

 オーストリア → フランスからベルギーを獲得
 プロイセン → 01年、王国に昇格
        ユトレヒト条約で正式に承認

 スペイン領での黒人奴隷の販売権(アシエント)
  16世紀 オランダ
  01年 スペイン=ブルボン朝成立 → フランスの貿易会社に与えられる。
  15年 ユトレヒト条約でイギリスに移る。
     イギリスの三角貿易が成立 

オーストリア継承戦争プロイセンVSオーストリア 第1戦)

(原因) マリア=テレジアは領土を継承できるか?

 40年、神聖ローマ皇帝カール6世が亡くなると、マリア=テレジアがオーストリアハプスブルク家の全領土を継承した。
 これにたいし、プロイセン王国のフリードリヒ2世(3代目、40年に即位)はバイエルン公を担いでこれに抵抗した。その裏には、シュレジエンが欲しいとmうことがある。

プロイセンを支援した国
 フランス ・スペイン→ 神聖ローマ皇帝の永遠のライバル

オーストリア側についた国
 イギリス → フランスの敵の敵は味方
 ロシア → 北方戦争に勝利してスウェーデンの代わりに大国の仲間入り

(並行して行われた戦争)

 シェンキンズの耳戦争
  スペインとイギリスの西インド諸島(カリブ海)での戦争

 ジョージ王戦争
  フランスとイギリスとの北アメリカでの植民地戦争

 カーナティック戦争
  フランスとイギリスのインドでの植民地戦争

(結果) プロイセンが勝利し、大国の仲間入り

 プロイセンが勝利した。
 しかし、フランスはこの戦争で何も得られなかった。

 オーストリア → マリア=テレジアの継承はみとめられた
          シュレジエンはプロイセンに割譲
 プロイセン → シュレジエンを獲得

オーストリアのリベンジマッチ 七年戦争

(外交革命) マリア=テレジア、長年の宿敵フランスと同盟

  シュレジエン奪回をめざうマリア=テレジアは、長年の宿敵フランスと同盟を結ぶ。外交革命である。フランスとオーストリアの対立は1494年のイタリア戦争からである。この時、ルイ15世の息子、ルイ16世に嫁いだのがマリーアントワネットである。彼女はフランス革命ルイ16世とともに処刑される。この裏で動いていたのが3人の女性である。マリア=テレジア、ロシア皇帝エカチェリーナ2世*2、そしてルイ15世の愛人ポンパドール夫人である。

 オーストリアを支援した国

  フランス、ロシア

 プロイセンを支援した国

  イギリス

(経緯) ロシアの撤兵でプロイセンが辛勝

 ヨーロッパ中を敵にしたプロイセンは苦戦し、一時首都ベルリンを占領された。しかし、ロシアでエカチェリーナ2世が亡くなると、ロシアは撤兵を始めた。これにより形勢は逆転。プロイセンは勝利した。

(並行して行われた戦争) イギリスVSフランス植民戦争 最終戦

 ブラッシーの戦い・第二次カーナリック戦争
  イギリスとフランスのインドでの植民地戦争
  フランスは、イギリスの地方政権と連合軍を組む
  イギリスが勝利

 フレンチ=インディアン戦争
  イギリスとフランスの北アメリカでの植民地戦争
  フランスは、原住民(ネイティブアメリカン)と連合軍を組む

   フランス → 原住民との交易に稼ぐ
          アパラチア山脈の西側の内陸部
   イギリス → アフリカから黒人奴隷を連れてきて大規模農園経営
          アパラチア山脈の東側の沿岸部

  

(結果) フランス、海外植民地をほぼ失う

 プロイセン → シュレジエンを死守
 イギリス → 北アメリ
        アパラチア山脈からミシシッピ川以東まで(フランスより)
        カナダ(ルイジアナへの入り口)(フランスより)
        フロリダ、西インド諸島の一部(スペインより)
        アフリカ セネガル(フランスより)

 フランス → 北アメリカから撤退
        ミシシッピの以東 → イギリスへ
        ミシシッピの以西 → ブルボン朝スペインへ
       インドからも撤退
 スペイン → イギリス
        フロリダとミシシッピ以西のルイジアナを交換

 

 

フランス・スペインの報復戦 アメリカ独立戦争

(原因) 七年戦争の勝者 イギリスVS イギリス領アメリ

 七年戦争に勝利したイギリスは、アメリカの植民地に課税した。(65年 印紙法、73年茶法)。これに対し、植民地移住者は反発。73年ボストン茶会事件を起こす。

 アメリカ独立軍

  スペイン・フランス はイギリスに参戦

  ロシアは武装中立同盟でイギリスを外交的に孤立させる。

 

(経緯)

 74年 大陸会議
 75年 レキシントンの戦い

 76年 7月4日 独立宣言発表 

(並行して行われた戦争) 東欧ではポーランド分割が始まる。

 ポーランド分割(第1回)
  プロイセン、ロシア、オーストリアポーランドは分割
  ポーランドは、ナポレオン戦争時に再び独立

 

(結果) イギリスの敗北

 83年、パリ条約

  イギリスは、アメリカの独立を承認
  イギリスは、七年戦争で得たミシシッピ以東のルイジアナを割譲。
 しかし、フランスはこの戦争で何も得られなかった。

 

かわいい系ロココ文化

 17世紀のバロック文化から、かわいい系のロココ美術に移行する。
 美術面では、ロリータ系ファッションを高尚にしたイメージ
 音楽では、モーツァルト、ヴェートーベンなどの新古典派が活躍

 

次回予告 4/5(金) アップ予定

なぜ、フランスは、17世紀初頭に全盛期を迎えることができたのか
なぜ、フランスは、イギリスと植民地戦争にむかったのか
太陽王ルイ14世の絶世期の宮廷文化どんな感じ?

 「17世紀のフランス ブルボン朝 太陽ルイ14世の全盛期」 をお楽しみに

そのころ日本は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 そのころ中国は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 

 

*1:清王朝ネルチンスク条約を締結

*2:日本にラスクマンをおくり、オスマン帝国からクリミア半島など黒海北岸を奪う