1840年代、日本は江戸時代後期。遠山の金さんが活躍していたころ。寛政の改革やアヘン戦争の対応に気を配っていた。
このころのカジャール朝ペルシアは、ロシア帝国に続き、イギリスの脅威を受けるとこになる。38年の第一次アフガン戦争の敗北はその一例である。
また、内部でもバーブ教徒の乱がおこり、内憂外患の状況下にあった。
カジャール朝ペルシア、第一次アフガン戦争に敗北
モハンマド=シャー皇帝の時代である。
38年、第一次アフガン戦争でイギリス(インド)に敗北
ロシアに続き、イギリスにも従属するようになる。
40年 イギリス=イラン通商条約
民衆の味方、バーブ教徒の反乱
44年 シーア派バーブ教が発足
貧富の差などを説いて、民衆の支持
カジャール朝ペルシアに対して反体制運動を行う。
48年 カジャール朝ペルシア、バーブ教を弾圧
ハーブ教徒の乱
48年 カジャール朝ペルシア、バーブ教徒の乱の中、ナーセロッディーン皇帝が即位
52年 バーブ教徒の反乱が鎮圧
アフガン VS イギリス
第一次アフガン戦争で独立を勝ち取ったアフガン王国。
41年、イギリス兵の暴行事件をきっかけに反英運動がおこる。
イギリス軍は鎮圧に向かうも全滅する大敗。
42年 イギリス軍、首都カブールを破壊
ロシア、ニコライ1世反乱を鎮めて名をあげる
ニコライ1世の時代
さらに、ポーランドの反乱を鎮圧
革命の年48年には、オーストリアを支援。ハンガリー反乱を鎮圧した。
ニコライ1世は48年の革命で、ヨーロッパでの発言力を高めた
イギリス、ヴィクトリア女王の全盛期
自由貿易政策 ⇒ 穀物法廃止、航海法廃止
アヘン戦争に勝利 ⇒ 清王朝に進出
アイルランドで大飢饉
次回予告
「1830年代のペルシア カジャール朝 第一次アフガン戦争」
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は