10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1840年代のペルシア カジャール朝 バーブ教徒の反乱

 1840年代、日本は江戸時代後期。遠山の金さんが活躍していたころ。寛政の改革アヘン戦争の対応に気を配っていた。

 このころのカジャール朝ペルシアは、ロシア帝国に続き、イギリスの脅威を受けるとこになる。38年の第一次アフガン戦争の敗北はその一例である。
 また、内部でもバーブ教徒の乱がおこり、内憂外患の状況下にあった。

 

 

カジャール朝ペルシア、第一次アフガン戦争に敗北

モハンマド=シャー皇帝の時代である。
38年、第一次アフガン戦争でイギリス(インド)に敗北
ロシアに続き、イギリスにも従属するようになる。

40年 イギリス=イラン通商条約

民衆の味方、バーブ教徒の反乱

44年 シーア派バーブ教が発足
   貧富の差などを説いて、民衆の支持
   カジャール朝ペルシアに対して反体制運動を行う。

48年 カジャール朝ペルシア、バーブ教を弾圧
   ハーブ教徒の乱 

48年 カジャール朝ペルシア、バーブ教徒の乱の中、ナーセロッディーン皇帝が即位

52年 バーブ教徒の反乱が鎮圧

 

アフガン VS イギリス

 第一次アフガン戦争で独立を勝ち取ったアフガン王国。
 41年、イギリス兵の暴行事件をきっかけに反英運動がおこる。
    イギリス軍は鎮圧に向かうも全滅する大敗。
 42年 イギリス軍、首都カブールを破壊

ロシア、ニコライ1世反乱を鎮めて名をあげる

 ニコライ1世の時代

 40年のロンドン条約で、黒海・地中海ルートを失う。

 さらに、ポーランドの反乱を鎮圧
 革命の年48年には、オーストリアを支援。ハンガリー反乱を鎮圧した。

 ニコライ1世は48年の革命で、ヨーロッパでの発言力を高めた

イギリス、ヴィクトリア女王の全盛期

  自由貿易政策 ⇒ 穀物法廃止、航海法廃止
  アヘン戦争に勝利 ⇒ 清王朝に進出
  アイルランドで大飢饉

 

次回予告

1830年代のペルシア カジャール朝 第一次アフガン戦争」

このころの日本は

 

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このころのヨーロッパは

 

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このころの中国は

 

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