1810年代の中国 清王朝 ウィーン会議でイギリスが台頭
清王朝は、広州の麻薬中毒患者が増加したため、アヘン輸入の取り締まりを開始した。一方で、イギリス政府は清王朝と自由貿易交渉を行っている。
当時のヨーロッパは、ナポレオン戦争の真っ最中であった。14年にはウィーン会議でナポレオン戦争が終結。ヨーロッパに平和が訪れた。当時のイギリスは、産業革命で蒸気機関車や蒸気船が発明された。一方で大陸がナポレオン戦争で混乱している中、アメリカイギリス戦争を実施。また、ナポレオンの支配下に入ったオランダからジャワ島を占領した。
ウィーン会議で、独立を回復したオランダにジャワ島を返還する代わりに、ケープ植民地、スリランカを領有。これにより、アジアの覇者は、オランダからイギリスに変った。
一方、清王朝の北のロシア帝国は、アレクサンドル1世の時代。ナポレオンのロシア遠征を撃退。ウィーン会議でヨーロッパの強国の一つになった。
そのころ、日本は