10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1920年代の中国 清王朝、道光帝の即位とイギリス麻薬(アヘン)密輸問題

清王朝は、広州の麻薬問題に苦しんでいた。このころ道光帝が即位した。

 

1820年道光帝が即位した。道光帝の一番の課題は麻薬(アヘン)問題であった。アヘン中毒者の増加は全く止まらなかった。大幅な貿易黒字も赤字に転落した。貿易赤字は銀価格の高騰につながった。16世紀の明朝後期に、税金は銀で納入に統一されたため、銀価格の高騰は実質的な増税となり、庶民の不満を高めた。
 1820年代のイギリスは、シンガポールマラッカ海峡に植民地を獲得し、24年の英蘭協定で、東南アジアのこれによりイギリスはインドから清王朝広州までの航路を確保していた。また、19年に蒸気船による大西洋横断を成功させ海上貿易が盛んになった。当時の貿易は、清王朝側は公行に限定されたいたが、イギリス側も東インド会社一社に限定されていた。当時の東インド会社は、13年にインド貿易の独占権を失い、インド国内の徴税と対清王朝との貿易が収入源となった。
 このころ、三角貿易が成立する。イギリスの綿製品をインドへ販売。これをインド産アヘンにかえ、清王朝へ販売。清王朝産の茶をイギリス本国へ持ち帰る形になった。
  一方、清王朝の北のロシア帝国は、ナポレオン戦争で活躍したアレクサンドル1世の時代。アメリカ大陸のアラスカを領有。25年、ニコライ1世が即位。このころになるとイランやオスマン帝国との戦争が続いていたため、清王朝との交渉どころではなかった。

そのころ、日本は

 

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