1820年代の徳川幕府の日本は、徳川家斉の親政のもと。化政文化と好景気を享受していた。
このころ、ドイツ人医学者シーボルトが来日。当時のドイツは統一的な王朝はなく、ナポレオン戦争で成立したプロイセンを中心とするプロイセン関税同盟とのちにハプスブルク家のオーストリア帝国に分かれていた。ちょうど産業革命が始まったころで、第九(交響曲第九番)で有名なベートーヴェンが活躍したのもこの時代のオーストリアである。
一方で、医学者シーボルトは大きな事件を引き起こす。日本を出国する際に徳川幕府は、1810年代に完成した伊能忠敬の日本地図を持ち出そうとした。フェートン号事件や相次ぐ外国船来航もあり、徳川幕府は、外国船は見つけ次第、砲撃せよのとのお触れを出す。(異国船打払令)これが1830年代に大きな事件を引き起こす。
いよいよ、来週は、激動の幕末明治に入ります。お楽しみに