10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1810年代 江戸時代後期 家斉バブルとウィーン会議

1810年代のイギリス ナポレオン戦争に勝利し、イギリスは清王朝へ向かう

1810年代、日本は江戸時代後期。浮世絵で有名な化政文化の絶頂期であった。 このころ、ヨーロッパでは、ナポレオン戦争が終結。ウィーン体制がが成立した。

1810年代のインド 東インド会社の植民地拡大政策

1810年代、日本は江戸時代後期。徳川家斉の好景気の時代である。葛飾北斎などの浮世絵が描かれたのもこの時代である。 そのころ、世界ではナポレオン戦争が終結。ウィーン会議によって戦後秩序が作られた。

1810年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル1世 ナポレオン戦争とウィーン会議でロシア帝国は強国に

1810年代、日本は江戸時代後期、化政文化が花開いていた時代であった。 このころ、ヨーロッパはナポレオン戦争の真っただ中にあった。1815年ウィーン海意義でナポレオン戦争は終結。1914年の第一次世界大戦までヨーロッパでは大きな戦争が起こらなくなる。 …

1810年代のペルシア カジャール朝 ロシア帝国にアゼルバイジャンを割譲

1810年代は江戸時代後期に当たる。このころ日本は、徳川家斉の大御所政治で好景気に沸いていた。 そのころ、ヨーロッパではナポレオン戦争が終結。ヨーロッパに平和が訪れた。このころから、イギリスとロシアのアジア進出競争が始まる。17世紀アジア交易を牛…

1810年代のフランス 第一帝政 ナポレオンの没落とウィーン会議

1810年代に入ると、ナポレオン帝政にも陰りが見え始める。12年のロシア遠征失敗である。14年にパリ陥落。ナポレオンは退位した。18世以降戦争が終われば講和会議が行われる。ナポレオン戦争では、ウィーン会議である。ナポレオン戦争とウィーン講和会議で、…

1810年代の中国 清王朝 ウィーン会議でイギリスが台頭

清王朝は、広州の麻薬中毒患者が増加したため、アヘン輸入の取り締まりを開始した。一方で、イギリス政府は清王朝と自由貿易交渉を行っている。

1810年代の日本 家斉バブルとナポレオン戦争の終結

1810年代の徳川幕府の日本は、徳川家斉の親政のもと化政文化と好景気を享受していた。そのころ日本海で商船がロシア人にとらえられる事件が発生。当時のロシアは、アレクサンドル1世のもとナポレオン戦争の真っ最中であった。 15年にナポレオン戦争が終結し…