10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1810年代のインド 東インド会社の植民地拡大政策

 1810年代、日本は江戸時代後期。徳川家斉の好景気の時代である。葛飾北斎などの浮世絵が描かれたのもこの時代である。

そのころ、世界ではナポレオン戦争終結ウィーン会議によって戦後秩序が作られた。

 

 前回の復習 1820年代のインド

 1820年代のインドは不況に苦しんでいた。その原因は安価なイギリス製綿製品である。農民は生活のため、清王朝(中国)向けアヘンの生産を行うようになった。

ヨーロッパ ナポレオン戦争終結し、ウィーン体制

 15年、フランスのナポレオン皇帝を拿捕。ヨーロッパ各国がウィーンに集まり戦後秩序について会議が行われた。これにより成立したのが、四国同盟と神聖同盟である。 

イギリス 米英戦争(第二次アメリカ独立戦争)と産業革命

 1810年、イギリスはナポレオン戦争の真っただ中にあった。そのような中、アメリカがイギリスに宣戦布告。米英戦争が始まった。14年、イギリスがナポレオン戦争に勝利すると、米英戦争終結した。

 ウィーン会議では、オランダからケープ植民地(南アフリカ)、スリランカ、東地中海のマルタ島を得た。

 また、産業革命も進展してきた。石炭採掘技術が向上し、石炭を利用した蒸気機関を使った工業が発展した。また、蒸気船や蒸気機関車が発明されたのもこのころである。一方で、産業革命の負の部分も出てきた。産業革命により従来の手工業者は失業した。彼らによる機械打ちこわし運動がおこった。

東インド会社

 インドでの貿易独占権を失う。
 主要なビジネスは、赤字続きの中国との交易とインドでの徴税収入になる。

植民地拡大戦争

 東インド会社は、インドでの徴税収入拡大のため、植民地を拡大していく

ネパール戦争

 東インド会社は、インドの北にあるネパールに勝利。ネパールを保護国とした。その後、1850年代のインド大反乱では東インド会社側にたち、活躍。第二次世界大戦後の1951年に独立する。

オランダからスリランカを受け入れる(ウィーン会議

 ナポレオン戦争戦勝国の間で講和会議が行われた。ウィーン会議である。

 この会議で、イギリスは、オランダからアジア各地の植民地を譲り受ける。その一つが、インド南東部のスリランカである。

コンバウン朝ビルマミャンマー)にアッサムを奪われる。

 コンバウン朝ビルマは、インド北東部のアッサム地方へ侵攻した。ここは東インド会社の本拠地ベンガル州に含まれる。これをきっかけに第一次ビルマ戦争が勃発する。

第3次マラーター戦争

 東インド会社は、マラーター同盟に勝利し、植民地がインド内陸部(デカン高原)まで広まった。

 マラーター同盟とは、インド中央部(デカン高原)を中心に活動するヒンドゥー教国の同盟。18世紀初頭、アウラングゼーブ帝が亡くなると、強力になる。ムガル帝国を脅かす存在となった。

シンガポール領有

 東インド会社は、マレー半島を治めるジョンホール王国からシンガポールに商館を持つことを許される。これが20年代の海峡植民地につながる。

このころの日本は

 

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